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早稲田カップin陸前高田 感想②

平素よりお世話になっております。3年の大和です。

先日アップいたしました感想の続きを掲載します。

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3年 宮田 拓実

『春を待つ』
東北での大地震が起こってから約7年半。中学の授業中に起こったが、京都にいた私にとっては揺れも感じず全くと言っていいほど現実味の帯びたものではなかった。そのため、テレビ以上の情報を得ることはなく、正直なにか行動に移せるほどの関心もなかった。しかし大学進学で上京、部という道でサッカーをする事を決断し、このボランティアに行く事を自分で志願した事でこの経験を得ることができた。
毎年、復興支援ボランティアに参加して強く感じるのは子供達の笑顔の素晴らしさだ。無我夢中にボールを追い、勝てば心から喜び、負ければ泣く、成長するにつれ忘れかけてた「サッカーをやる理由」のようなものにいつも気づかされる。
そして今小学生の彼らは震災前後に生まれた子達。津波によって0からはじまったこの街と生きていく世代だ。そんな子供達の中に「ハル」と名付けられた子が多くいた。勝手な推測ではあるが、震災を経験した大人たちの想いが垣間見える。もちろん7年半もの時が経ち、整備され、新たな建物が多く建ち並びぶこの街は以前のような状態に戻りつつあるのかもしれない。しかしこれが最高の状態では絶対ない。この子達の笑顔がパワーが被災地の未来に春をもたらす日を夢見て、これからも少しでもその助けになれる存在でありたい。

 

2年 森本 貴裕

今回、私は初めて早稲田カップに参加させていただきました。

私自身、この活動を通して子供達に少しでも活力を与える事ができればと思い、陸前高田へと向かいました。そして、実際に子供達と接していく中で、ある事に気づかされました。それは、少しでも活力を与えると意気込んで臨んだ私自身が、逆に、早稲田カップに参加していた子供達や親御さん方からパワーを頂いていたという事です。具体的いうと、「自分たちはこんなにすごいんだぞ!」といった力強さの様なものです。私のような関東で過ごしていて、実際に震災を経験していない人からすると、被災地に対して少し憐れみのような感情を抱いてしまっている方も多いと思います。それが不要だとは思いません。しかし、実際に被災地を訪問し、現地の方々と接し、みなさんの力強さや、たくましさを肌で感じる事で、私が感じたように、今被災地にとってより必要なことは憐れむ事ではなく、現地の方々が持つこのエネルギーをどうすれば日本中に広めることができるかを考える事だと再認識させられるはずです。

また、今回の活動の中で、すがとよ酒店さんで菅原さんから震災についてのお話を聞かせていただく機会があり、その中で、「遠地の認識と被災地の現在では大きな違いがある」という話を聞きました。私はその通りだと思いました。正直なところ、私は震災から約7年も経ったのだから、復興はかなり進んでいて、ほぼ以前と同じような街並みを取り戻しているのだろうと思っていました。しかし、現実は想像とはかけ離れていて、実際に被災した地域を目の当たりにすると、そこには建物はほとんど見当たらず、道路は舗装されているものの、道の両脇には盛土の山が広がっていました。そこで、自分の被災地の現在への関心の薄さについてあらためて気づかされました。しかし、これは私だけが感じるものではなく、日本の多くの人が現地を訪れたら感じることだと思います。時が経つにつれて、マスメディアでの報道が減り、日本国民が被災地の状況を知る機会が減っている今だからこそ、もう一度被災地に目を向け、忘れ去られないようにしなければならないと思いました。

今回の活動を通して、上記のこと以外にも多くのことを学ぶことができました。そして、私は、これらの経験を活かし、どうすれば被災地の現状や現地の方々の熱量をたくさんの人に伝えることができるのかを考え、行動していきたいと思います。

 

3年 神山 皓亮

今回で3回目の早稲田カップの参加となりました。1年生の時に参加してから2年経ち、街並みも変化し所々に建物ができていていましたがまだまだ震災の爪痕の方が多い状態で復興には程遠い状態でした。これがバスから外の景色を見た率直な感想でした。
早稲田カップでは私は3年連続でFCサンアルタスを担当させて頂きました。FCサンアルタスの選手はとても元気で人懐っこくてサッカーも一生懸命やります。彼らを見ていると元気や勇気がもらえ本当に陸前高田の宝だと思いました。毎年2日目の別れの日がとても悲しくなります。そんな彼らのためにもっとなにかをしたかったというのが毎年抱く感情でした。震災直後にこの地に赴いてできることはたくさんあっただろうと後悔をします。その気持ちで去年も今年もこの早稲田カップに参加させて頂きました。早稲田カップが私に被災地復興の機会を与えてくれ、微力ですが力になれることを嬉しく思います。早稲田カップの開催に関わる全ての人に感謝しています。今後もこの早稲田カップが続くことを願っています。
2日目の早稲田カップ後にすがとよ酒店に行き菅原さんに震災の当時の話を聞きました。津波の動画や目の前で夫をなくした話など衝撃的なもので言葉を失いました。菅原さんが震災当時各地方からボランティアしてきてくれた人々にほんとに勇気を与えられたという話を聞いて、またなにもできなかった自分に後悔の年に駆られました。また震災当時は水を電気も火もない状態で、スイッチを押せば電気や火がつき蛇口をひねれば水が出てくるそんなことさえにも感謝した。という話をしてくださりなぜか私は焦りを感じました。私はとても恵まれています。両親はどちらもいて兄もいて周りの友達にも恵まれています。高い学費の学校にも通いサッカー部にも入りなに不自由なくサッカーもできています。だからこそこんな恵まれた環境で生きている自分に対して、菅原さんの話を聞いた時に焦りを感じました。この現状にもっと感謝をしなくてはならないそしてもっと1日1日を一生懸命にがむしゃらに生きなくてはならないと思いました。
陸前高田に行き様々なことを感じ、得ることができ参加して良かったと思います。普段の生活をしていては感じられないことをこの早稲田カップを通して感じることができました。ありがとうございました。

 

1年 川野 秀悟

東日本大震災からやく7年。私は初めて被災地陸前高田市、気仙沼市に足を踏み入れ、また早稲田カップへの参加も同じく初めてとなりました。まず今回東日本大震災復興支援スポーツボランティアということでこの貴重な経験をさせていただいたことに感謝をしています。この貴重な経験を振り返ると自分にとって非常に内容の濃い2日間だったと思っているのと同時に私自身の中にある感情は大きく揺さぶられ、その複雑な感情は今自分の中に感情の違和感として残っています。そのためここでは今回の活動全体をまとめとしては伝えることはできませんが、自分がそれぞれの活動で感じたものをいくつか書いていきたいと思います。
まず早稲田カップについてなのですがこの早稲田カップだけでもとても考えさせられる非常にいい経験となりました。私は高田FCさんのもとに2日間つかせてもらい子供たちや監督さんと関わらせていただきました。選手のアップを考えやらせたり、試合後の空いた時間に会話やボールを一緒に蹴ったり、試合のメンバーまでも決めさせていただいたりとなかなか大学生としてはできないようなことをさせていただき、指導の難しさや子供たちと関わっていく中での子供たちの変化、そして子供たちの素直さを強く感じました。この素直さや1日目の交流会の際に高田FCの監督さんや高田市サッカー協会の方とお話をさせていただいたときの震災当時のお話などから自分が小学生の時や震災があった時のことを思い出しそこから自分がどのように今までサッカーに向き合ってきたか、またどうして今もサッカーをしているかを考えさせられました。
今回の活動ではバスでの移動が多くそこで陸前高田や気仙沼の現在の街並みを見る機会があったのですが、その景色は言葉を失うほどの驚きでした。復興が進み様々な建物や防波堤などが建ってきてはいましたが、しかし街全体は閑散としておりそれはまさに震災の規模を物語っているかのようなものでした。また、すがとよ酒店で震災当時のことを聞かせていただいたことも含めると、今の自分の日常は自分の中で本当に日常としてあってもいいものなのか、もっと謙虚に今の日常になってしまっているものを日常だと考えず一つ一つに感謝しつつ過ごしていくべきではないかと考えさせられました。
以上が今回のそれぞれの活動で感じたことで、始めにも書きましたが非常にまとまりもなく、小間切れ状態の感想となってしまいましたが、それらのそれぞれに感じたことから持つことができた複雑で違和感のあるこの感情は、今回のこの経験とそれぞれに感じたことを決して忘れないためにも良いものとして自分の中に残し続けていくべきだと思いました。また東伏見に帰り、週の初めの練習である火曜日にピッチに立った時に感じた今までに感じたどれよりも大きい感謝も決して忘れずこれからもサッカーや様々なものに取り組んでいきたいと思いました。

 

 

2年 山崎 昴

今回私は2度目となる早稲田カップに参加しました。参加した理由としては前回早稲田カップに参加した時に子供と触れ合った際に私が勇気を与える側なのに、逆に夢を与えられてしまったという経験をしたので、今回こそは自分が何かを子供達に与えようと思い、参加を決めました。
今回の早稲田カップで私が最も心に残った出来事があります。子供達と触れ合うことによって最初は心を開いてくれていなかった子供が最後には私たちと笑ってボールを追いかけてくれたことです。その時に私は本当に早稲田カップに来て良かったと心から思いました。私の目的であった、子供に何かを与えるということが達成された瞬間でもあったため、私の心に非常に強く刻まれました。
また、被災地の復興がまだまだ私たちが思っているほど進んでいないということも改めて感じました。今では被災地のことをテレビで見かけることは少なくなりました。そのため、被災地以外の人々はある程度復興が進んでいると考えていると思います。しかし、現状はそんなに甘くはありません。震災から7年が経った今でもまだ更地のままである場所も多くあり、思うような復興が進んでいないということを自分の目で見ることになりました。まだ被災地の復興はまだまだこれからであって、私たちの支援が必要であるということを実際に被災地を訪れた私が他の人たちに伝えることが私のやるべきことであると感じました。
今回のボランティアで自分の視野がこれまで以上に広がったのではないかと私は考えています。このことをこれからの自分の生活の中で生かしていくことができるように日々過ごしていきたいです。

 

1年 秋元 浩希

東日本大震災が起こってから7年半以上の月日が経った。ニュース番組ではほとんど報道されなくなり、風化されつつある状況の中で、自分の中でどこか他人事の出来事として記憶に残っていた。私は、3歳ごろに家族で秋田に行き、それ以来東北を訪れることはなかった。宮城や岩手に訪れるのは、震災以降はもちろん人生で初めてであった。3.11が起こってから、何度もニュース番組で被災地の状況や復興の道のりを見て、自分の中では理解している方だろうなと思っていた。しかし、いざ気仙沼の街の風景を前にして、何も言葉が出なかった。百聞は一見にしかずとは、まさにこのことだと思った。震災の遺産として遺された建物、地盤を高くするために盛られた土、整備された道路や新しく建てられた店など全てが私の住んでいる世界とは違った。まるで模型のような街だった。自分が恵まれている環境で生活しているなというよりも、自分はどれだけ楽をして生活をしているんだろうかということを強く感じた。
また、子供たちに触れ合い、一緒にサッカーをすることで、とてもパワーをもらった。自分がサッカーを始めた時の純粋な気持ちを思い出したり、サッカー本来の楽しさを考えさせられたりした。私が年齢を重ねるとともに、サッカーの厳しさや辛さも知り、いつのまにか純粋にサッカーを楽しめていない自分がいたが、サッカーが好きだからずっとやってきていること、何のためにサッカーをしているのかを再確認できた。これらの経験を自分自身の財産にするだけでなく、他の人に伝承していきたい。

 

 

1年 西川 玄記

僕は「どのくらい復興が進んでいるのか楽しみだな」という感覚で被災地に足を踏み入れました。

「…………ん?あれ?」というのが一番最初に来た感想です。

黙っちゃいました。自分がどこかの海岸線に早朝にポツンと立ってる感じでした。

人気がなく、何百メートル先まで遮るものがなく見渡せました。さすがに所々には建物がありましたが……、でも大半が工事中の建物で、しかも住宅はなく工場なんです。もともとは住宅街や商店街で賑わった港町だったのに。見る影もありませんでした。

今回一緒にサッカーした小学生は震災の頃はまだ小さかった時で、記憶に残っていない子もいると思います。でもすごく元気でした。サッカーとかスポーツをすることって考えていたことや詰まっていることを忘れさせてくれます。彼らもいづれは大学に進学して、社会人になっていきます。もちろん被災地で育った人として。どうか彼らがこの地に戻ってくるために復興を進めていかないとなと感じます。また、世間一般の被災地の現状への認識とホントの現状はすごーくギャップがあるなと実感しました。それは自分もある程度は復興しているだろうとか安易に考えていたからです。なんだか自然による破壊力とか、人間の弱さとか、現実世界を突きつけられた感じです。

話は変わりまして、20日の夜に現地の方々と交流する機会がありました。あるホテルオーナーが話していたことがとても印象的で鮮明に残ってます。

「私が死ぬときになっても復興なんて終わらない。誰かにバトンを渡さないと。だから、死ぬまで復興に尽力するんだよ。お金なんていらない。この場所が街になるまで。」

一言一言つなぎ合わせながら話しておられました。簡単な言葉に見えますが、自分が被災者になった時に言えますか?ほかの場所に移って普通に暮らすこともできるのに、人生かけて取り組めますか?

そう考えると、簡単には言うことのできない言葉だと感じました。自分自身この経験を言葉にするのがとても難しいと感じています。だからこんなにまとまりのない文章になってしまったのだろうと思います。それも今の自分が被災地を前にして困惑し、動揺していることが表れているのだと思います。

でも、自分この場所が復興し発展していく プロセスの一部になるんだと強く思ったことは確かです。きれいごとか!とか言われるかもしれないですけど、正直な気持ちです。

最後に、たくさんの人にこの現状を見て、感じてほしいです。テレビとか新聞とかじゃなく雰囲気そのものを感じてほしいです。

 

 

1年 公文 翔

 

今回私が早稲田カップに参加した中で学んだことは大きく分けて3つあります。

まず、被災地の状況についてです。私は被災するほど大きな災害にあったことはなく、これまで地震や豪雨災害についてもテレビで知るほどのこと以上のことを知ろうとしたことはありませんでした。メディアの力というのは良くも悪くも大きく、テレビで復興は着々と進んでいますと放送されていたのを見て、へえそうなのかとしか思っていなかった私ですが、今回実際陸前高田や気仙沼の様子を見て、驚きを隠せませんでした。東日本大震災から7年も経っているにもかかわらず、多くの場所は建物がなく見晴らしのいい景色が続いていました。お店などは新しく何件か建っていましたが、正直に言って町全体に活気があるとはとても思えませんでした。日曜日の夕方菅原さんの話を聞き、生々しい映像を見て、心が痛みました。自分が知っていた東日本大震災というのはほんの一部なのだとわかりました。現地では津波対策として土を盛って高い位置に建物を建てるということが今なされています。あの震災から7年が経ちましたが、現地の人は震災から学びさらにいい街を作ろうとしています。私たち被災者でない人も、震災の恐怖や犠牲を忘れないだけでなく、震災から学ばなければならないと感じました。

次に、仕事についてです。土曜日の夜に地元の方、アシックスの方との食事会がありました。立食パーティーの形でいろいろな方とお話しさせていただきましたが、特にアシックスの方3,4人と長い時間お話しさせていただきました。特にこのことが印象に残ったというわけではなく、お話の全てがこれからの自分の人生、特に就活の場面において非常に参考になりました。自分はこれまで安全な選択を優先的にしてきましたが、大学に入って少し考えが変わったことがあります。今回のアシックスの方も一度アシックスを落ちて他の会社に就職したけれどやっぱりこの仕事がやりたいと思って中途採用でアシックスに入ったと言っていましたが、このようにチャレンジすること、自分のやりたいことをやるということです。もちろんすべてが叶うわけではないと思いますが、あまりやりたくないけれど安全な選択をするよりも、少しチャレンジをしてでも自分のやりたいほうを選択しようと思うようになりました。

最後はやはりサッカーについてです。サッカーはほんとに深いスポーツで、自分たちが普通にやっていることを子供たちができていないときに、どのように教えればいいのかは今回悩み続けました。ただ、今回私は一番サッカーの本質を思い出させてもらいました。自分は今回サンアルタスというチームにつかせてもらい、見事に優勝しました。確かに強いチームで技術で気にも高い選手が多くいて、少年サッカーをほとんどやっていなかった私には小学生ってこんなに上手いのかと驚かされましたが、それ以上にメンタル的なものがとても印象的でした。というのも、得点をとってもすぐボールを持っていき攻め続けるのです。そして、7,8点取って勝ったのに1失点したことをすごく悔しがるのです。楽しむのもサッカーの本質であることに間違いはありません。ただ、得点を取れば嬉しい、失点をすれば悔しい、というのもサッカーの本質だと思います。私たちは、大量得点をしているとプレーがかるくなって不用意な失点をしてしまったりすることがありますが、今回の子供たちのプレーには何点取っても全力で、失点する、ましてや負けた時などはとても悔しがるというサッカーをするものとして必要なメンタルが私たち以上に入ってる気がしました。そのような点では私たちは子供たちが学ぶことができたと思います。

とても貴重な体験をできたことをうれしく思います。

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早稲田大学 競技スポーツセンターのホームページに今回の早稲田カップに関する記事が掲載されているので、こちらも併せてご覧ください。

 

さらに、、

岩手めんこいテレビ様に早稲田カップについて取り上げていただきました。

詳しくはこちらから

※記事の掲載期間が11月20日までとなっておりますので、お早めに。。

 

それでは失礼します。