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3年生の想い〜金島遼〜

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2部降格が決まったあの日、スタンドで涙を流していた4年生の姿が忘れられません。
しかしこのとき私が味わったのはみんなと同じ挫折ではなく、挫折を味わうことすら出来なかったという虚しさでした。

 

私にとっては、高校生活までがいかに順風満帆だったかと気付かされるほど、大学生活そのものが挫折でした。
最後のサッカー人生を悔いなく終わりたい。
そんなざっくりした想いだけで大した覚悟も持てぬまま、ア式の門を叩きました。始めの練習生期間にそれなりの手応えと自信を掴み、大学生活での目標もなんとなく定めていました。

 

でも待ち受けていたのは怪我人としての生活でした。入学早々の長期離脱、そして同じ怪我の2度の再発。入学してから合わせて2年5ヶ月もの期間、プレーから遠ざかっており、気付けば残された時間はわずか1年になっていました。
気が狂うほどに自分が嫌になりました。泣きながら何度も母に電話したこともありました。これまでの短い人生の中では最大の挫折です。

 

そうして私は、悔しいという感情を抱きたくないがゆえ、自分の真の心に「言い訳」という名の蓋をし、個人の目標を徐々に低くすることで、自分の体裁を保ってきました。
常に無意識のうちに退路を用意し、そこに進んでも惨めなだけだと本当は分かっていながらも、自分に言い訳をつけて現実から逃げてきました。
怪我さえ治れば自分はやれるから。授業や課題さえなければ練習や合宿に出れるから、そしたらもっとできるから。
そんな無意味な理論を並べては、自分自身を納得させることに徹してきました。
一年生の頃、同期が試合に出てるのが見たくもないくらい悔しくて悔しくてたまらなかったのに、その素直な感情は今どこに行ったのか。
精神的に弱く、幼いという事実が露呈しました。

 

一部昇格のために、優勝のために、最上級生としてチームを牽引する。
そう思い切ったことをここに綴りたいところですが、まず私にはひとりの選手としての自立が求められています。
基準が低く、情けない発言ではありますが、それでも私は絶対に一部昇格を果たしたい。最後はみんなと一緒に喜びたい。
そのために私はもっと自分に向き合わなければいけません。
上手くいかないのは自分の責任。実力不足なのも自分が悪い。悔しいと思うのなら自分がやるだけ。そうしなければ達成感も挫折も感動も何もない。
もっと自分の意思で考え、周りの雰囲気にとらわれず、自分がすべきことを全うするだけです。ア式の勝利に貢献したと心から思えるように。

 

最後に、
私はサッカーをやってきて、誰かの期待に応えられたときに、最大の喜びを感じてきました。
これは決して綺麗事ではなく、本音です。
私の想像以上に、その何倍もの人々が、期待と応援を寄せています。
3度目のグロインペインが再発したとき、悪化してリハビリが滞ったとき、それでも自分は誰かに期待され、支えられていることを知りました。
「いつか試合に出て活躍するのを楽しみにしてる」こうした言葉を掛けられる度に、頼むから自分なんかに期待しないでくれ、そう思ってきました。
しかし私がどんな状況になろうとも、ア式でサッカーに喰らい続けている以上、両親は必ず支えてくれるし、見守ってくれています。家族、友人、私を取り巻く人の中に、期待を寄せてくれている人が必ずいます。またア式に所属する以上、日本一の支援を頂いています。
その期待と支援に応えることが私の義務であり、私がサッカーを続ける理由となり、私にとってのやりがいです。

 

 

大好きなサッカーに夢中になれる。こんな幸せな環境他にありません。
私はもっともっとやれるはずです。
最後の1年、精一杯尽力します。