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Road to Jリーグ 相馬勇紀は誰にも止められない

Road to Jリーグ
相馬勇紀は誰にも止められない

 

「なんで、俺にパスを出さないんだよ!」味方選手に対して、強い口調で要求する。納得がいかなかったら、すぐにふてくされてしまう。いや、以前はと言った方が正しいか。大学4年間で、プレーも、心も、変化していった。

 

「選手生命を考えた時に、一番成長できる環境がある」名古屋グランパスを選んだ最大の理由だ。相馬は広大なスペースを利用した、スピードのあるドリブルを得意とする。私は右サイドバックで、練習の時に、相馬と対峙することが多い。距離を縮めようとすると、一瞬の爆発的なスピードで裏をとられる。裏を警戒すると、足下でボールをもらって、スピードにのったドリブルを仕掛けてくる。「どうやったら、止められるんだよ」と、嫌になるほどだ。名古屋は狭いスペースでも細かくパスを繋いで、相手を崩しにいく。風間監督は止めて、蹴るという基本技術をとことん追求する。「自分の足りない部分を学ぶことができる。選手の幅を広げたい」名古屋を選択した背景に、現状に満足せずに、変化を求める相馬らしさが溢れている。

 

相馬らしさを伝える良いエピソードを思い出した。相馬の朝はとにかく早いのだ。私は寮で同じ部屋で暮らしている。7時に起きると、すぐにマットを部屋に広げる。何をするのかと思えば、ヨガを始める。足を広げたり、手を伸ばしたり。20分ほどやる。なにがすごいかと言えば、一日足りとも、欠かしたことがないところだ。意識の高さに感心しつつも、音楽を流しながらヨガをやっている時は、さすがにいらっとするが…近くにいるからこそ、真面目な一面を垣間みる。多くの人はなにかをやろうと思っても、中々続かない。とりあえずやってみようと思えない。なぜ、相馬は良いと思ったことをスポンジみたいに吸収して、継続することができるのか、興味が湧いた。

 

大学でグロインペイン症候群(股関節周辺の痛み。キック動作が多くあるサッカー選手がなりやすい症状)に2年間、苦しめられた。痛みを堪えながら、サッカーをする日々が続いた。「なにをすれば痛みが和らぐのか。今、やるべきことを試行錯誤してきた」と、辛い日々を過ごしたからこそ、身体のメンテナンスは欠かさない。

 

相馬を変えたのは、怪我だけではない。早稲田大学ア式蹴球部の前監督である古賀聡さん(現在は名古屋グランパスU-18監督)の影響が大きい。大学3年次、審判のジャッジに納得がいかずに、必要以上に異議を訴えて、イエローカードをもらった。「次、同じようなことをやったら、相馬をチームから外す」翌日、監督に名指しで、全員の前で叱られた。「その場の感情だけに流されないこと。相手の言うことを聞き入れてから、自分の思っていることを伝えることを学ばせてもらった」と、目にうっすら涙を浮かべながら、当時を振り返った。

 

最大の転機は大学3年の冬、全日本大学選抜での経験だ。「足下の上手い選手だけじゃなくて、自分みたいな選手を選んでくれたことが嬉しかった。今まで、苦手な部分を補うことよりも、特徴を伸ばすことに時間を割いてきた。やってきたことは間違っていなかった」「周りの選手が自分の良さを活かしてくれるから、そこでミスをしたら全て自分に責任がある。味方がどうこうではなく、自分と向き合う大切さに、やっと気づくことができた」

 

全日本大学選抜から帰ってきた相馬は明らかに変化していた。今までは、味方のプレーに対して文句を言うことが多かった。だが、自ら歩み寄り、味方と合わせにいく姿勢に変わった。「自分が自分がじゃなくて、チームのために自分が活かされている時が一番いい」現在、早稲田の快進撃の要因は、相馬の変化だと言っても、過言ではない。大学での4年間が、今の相馬を形成している。多くの困難が、相馬を進化させる歯車になってきた。

 

相馬の良さが名古屋でどのように活きるのか。実際に、J1リーグ第15節、名古屋と柏の試合を見てみた。「シャビエル選手が顔を上げた時に、逆サイドの選手が動いていないんですよね」と、飯島解説者の言葉がやけに耳に残った。短いパスで相手を密集させるからこそ、サイドチェンジの効果が大きくなる。左利きのシャビエル選手が右サイドから、中にドリブルで運んだ時に、左サイドの相馬が斜めのランニングをしたら…想像するだけで、ワクワクする。名古屋サポーターを沸かす日は遠くない。
(早稲田大学ア式蹴球部4年 小笠原学)