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「お前運いいな」3年・神山皓亮

 

🌟神山皓亮(カミヤマ コウスケ)
⚽️栃木SCジュニアユース → 栃木県立真岡高等学校

 


 

 

 

11月10日フクダ電子アリーナで行われた東京国際戦に勝って早稲田は関東大学サッカーリーグ1部の優勝を決めた。

優勝が決まった瞬間泣き崩れる選手や飛び跳ねて喜ぶ選手がいた。

チャンピオンTシャツを着てみんなで肩を組んで紺碧の空を歌った。最高の瞬間だった。

 

 

しかし私は素直に喜べないでいた。

もちろん嬉しくないわけではない。今年から監督が代わり不安ながらも新しいことに挑戦し続けチームを引っ張ってくれた4年生の姿を見てきたし、自分としても今年になって初めての関東リーグのピッチに立てて何試合かに絡むこともできた。

去年の自分の立ち位置では考えれなかった。

嬉しい。嬉しくないわけがない。

 

 

しかし嬉しいという感情とともに悔しいという感情が残る。

この試合私は後期リーグ初めてで久々のベンチ入りをした。しかもその試合で優勝が決まった。そんなわけで周りからは「お前運いいな」などと言われた。

確かに運がいい。

しかしこの言葉が悔しかった。

 

今年は自分としても躍進の年だった。前期リーグベンチ入りするようになって早慶戦にもベンチ入りできた。夏には選抜や特別指定で主力の選手が何人かいない状況ではあったがスタメンとして出ることもできた。このままの勢いで後期では前期よりも活躍してやる。という思いだった。しかし結果的にベンチ入りしたのはこの試合だけだった。周りからみれば「運がいい」と思われて当然だ。

しかし私としては自分が思い描いていたものとかけ離れすぎていて悔しかった。

もっと出たかった。活躍したかった。涙が出るくらい喜びたかった。そんな思いがよぎる。

 

 

悔しさ、思い返してみれば大学生活はこの感情を抱くことがたくさんあった。

ア式蹴球部に入っての初日の練習で辞めようかと思った。練習レベルの高さ、経験したことのないような部員同士での激しく追求し合う掛け声、大学でもある程度出来るだろうという自分の考えが甘かった。これが4年間続くのかと思うと考えられなかった。

 

それでもなんとか食らいつきながら練習した。段々コンディションが上がったり、慣れたりでAチーム上がれた。と思ったらAチームのレベルの高さを知りまた壁にぶちあたった。毎日怒られ、「そんな下手くそならサッカーやめちまえ」と言われた時はだいぶやみました。そしてなんの解決もできないまま怪我をした。正直大学1年生の時は地獄だった。

でもやめなかった理由がある。

 

それは会うたびに「頑張れ」や「期待している」と声をかけてくれる高校の同期。遠いところからわざわざ試合にみにきてくれたり、また怪我をしたときに怪我について熱心に調べてくれ本や資料を送ってくれたりしたお父さん、いつも自分のことを気にかけ電話してくれ「自分のペースで頑張りな」と優しく言ってくれるお母さん。

これはほんの一例ですが。

あの時期を乗り越えられたのは周りの支えや存在があってのことでした。

これまでのサッカー人生も然りで今まで本当にたくさんの人に支えられてここまでやってこれました。

そんな人達に感謝を示せるのもあと1年です。

あと1年で小さい頃から始めたサッカーが終わるかもしれない。最後悔しいなんて感情で終わりたくない。

 

「運いいな」など言わせないくらい、自分自身で納得できるくらい、そして今まで支えてきてくれた人達が応援して良かったと思えるくらいの取り組みと活躍をします。

 

そしてまだ終わってはいませんが今年の4年生が新しく作った歴史を塗り替え、最後みんなで笑って終わりたいです。