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「見たことのない景色」3年・大里優斗

 

🌟大里優斗(オオサト ユウト)
⚽️鹿島アントラーズつくばジュニアユース → 鹿島アントラーズユース

 


 

 

 

自分のことだけにしか目を向けられない人は三流。

家族や友人、スタッフなどに感謝できる人は二流。

目には見えない、支えてくれている人のことまで思いやれるようになって一流。

 

 

そんな話をユース時代に監督からしてもらったことがあります。

 

果たして、自分はどうだろうか。どこまでの人を思いやれているのだろうか。
ずっと疑問に思っていました。
「ありがとう」と頭の中で思うことはとても簡単なことで、本当にその人の気持ちを
汲み取れているのか、わからないからです。

 

 

しかし、最近その疑問に思っていた答えがやっとわかったような気がします。

 

自分は大学に入り、怪我が増えました。プレーしている時間の方が短いです。
そんな怪我人の自分にはチームから様々な仕事が与えられました。
いわゆる「支える側」の立場をほんの少しだけ経験しました。

練習中の水汲みから、選手のサポート、他大学のスカウティングなど、
とにかく色んな仕事をしました。
時には、関東リーグの審判や、学連の方たちと運営まで携わったこともあります。

 

今まで選手としてしかサッカーに関わってこなかった、
「支えられる側」にいた自分はそんな状況を受け入れられず、
なんでこんなことやらなきゃいけないのだろう。と毎日思っていました。

関東リーグの副審をしているときには、
一歩、線を跨げば関東リーグのピッチなのに、ものすごく遠く感じました。
ピッチの中では、昔一緒にプレーした選手や、ライバルとして戦ったことのある選手たちが
真剣勝負をしているのに、おれは何をしているんだと何度思いました。
みんなに追いていかれている実感しかなくて、とてつもない劣等感を感じました。

めちゃくちゃ悔しかった。
大学に来てからぐっすり眠れた日なんて数えるほどしかありません。

 

しかし、「支える側」になったとき、そこには

見たことのない景色が広がっていました。

 

 

審判を自分がやったときに、目の当たりにしました。
いつも審判の人たちはこんなにも試合をスムーズに運ばせるために、打ち合わせをして、
ん話し合い、誰に何を言われても真摯に試合を裁いているのか、と。

試合を運営する側に回って、目の当たりにしました。
学連の人たちは関東リーグを、一試合運営するためにこんなにも連絡を取り合い、選手たちにストレスを感じさせないように運営してくれていたのか、と。

それ以外にも、自分が気付けていないだけで支えてくれている人たちは
まだまだたくさんいると思います。

 

 

自分が「支える側」になってみて初めて気付きました。

こんなにも、目に見えないところで支えられていたのかと。

 

いや、目には見えていたはずです。

ただ、当たり前すぎて見過ごしてしまっていたのです。

決して、当たり前のことではないのに。

 

感謝しているつもりでした。
でも、まったく気持ちを汲み取れてなんていなかった。
頭の中で「ありがとう」と思っていただけで、
心から「想う」ことは全くできていませんでした。

 

 

サッカーが出来ない毎日はとても辛く、退屈だったけれど、

サッカーが出来なかったことでほんの少しだけど、大切なことに気付くことができました。

 

 

別に、このことに気付いたからってサッカーが突然上手くなるわけでもないし、
足が速くなるわけでも、体が強くなるわけでもありません。

 

でも、このことに気づいたことで、自分自身には責任が生まれました。
そして、辛いとき、逃げ出したくなるようなときでも、「支える側」の想いを思い出せば、
それが、もう少し頑張ろうと思える力になりました。

 

 

大学サッカーも来年で最後になります。

チームへの想いとか、来年の意気込みとかは書きません。
そういうのは言葉ではなく、姿勢で示したいと思います。

 

来年の今頃、自分がどんな状況になっているかは全く想像つきません。
まだ21年しか生きてませんが、きっと来年は人生で一番大変だと思います。
不安や、プレッシャーに押しつぶされそうになると思います。

ですが、家族や友人をはじめ、目には見えない人たちに支えられていること、
それを思い出せば、どんなことも乗り越えられる、そんな気がします。

自分の夢は小さい頃から一度も変わっていません。

 

それは、プロサッカー選手になること

最後までこの夢を追いかけます。

 

 

そして、いつか支えてくれた人たちに、必ず恩返しをします。