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30周年企画《OG連載》2012年卒 新井敦子


こんばんは。本日のOG連載です!

私たちが今、ア式蹴球部女子部として活動できているのは、過去にさまざまな栄光を残してくださった先輩方のおかげです。30周年という記念すべき年に、栄光を振り返ることは、私たちにとっても新たな刺激へとなります。たくさんの先輩がいる中、今回は新井敦子さんに担当していただきました!!


(↑写真右下(大学4年時))

【新井敦子(あらいあつこ)2012年卒】
1989年(平成1年)11月9日生まれ。9歳からサッカーを始め、中学高校ではホワイトスター高崎(現在はバニーズ群馬FCホワイトスター)に所属。(2012年1月に)早稲田大学ア式蹴球部女子を卒部後、大学卒業延期を決意。(大学サッカーには終止符を打つが、学部は卒業をしない形をとった)
大学を休学し、大学の留学プログラムを利用して、アメリカのポートランド州立大学に留学。2013年4月に早稲田大学復学し、同年9月にスポーツ科学部を卒業する。その後ワーキングホリデーを利用し、10月から6か月弱シンガポールに渡る。
卒業前に教員採用試験を受けており、2014年から5年ほど群馬県で小学校教諭を務める。
2019年9月から休職して青年海外協力隊に参加
12月にウガンダへ体育教諭として派遣される
2020年3月にコロナのため帰国し、その後すぐには復職せず、キャベツ農家に1カ月住み込みで働く
2020年9月に所属先の小学校に復職
現在は、さいたまSAICOLO(日本リーグ)でフットサル選手として活躍している。

様々な経験をしてきた新井さんの経歴はそう簡単に、私たちの力だけで語りきれません。今日までどのようにして自分と向き合ってきたのか、それがどうやって行動に繋がったのか綴っていただきました。

大学在学中
正直なところ、今振り返ると、大学4年間は試合になかなか出られず、常に自分のミスや弱さと向き合い続けるような期間だったと感じています。好きだったはずのサッカーに自信がもてず、コンプレックスになり、もう嫌だと思うこともたくさんありました。それでも、やめずに続けられたのは、同期や先輩、後輩に恵まれていたからだと思います。練習や試合では悔しい思いを数えきれないぐらいしたけれど、オフの時間にみんなで過ごす時間は最高に楽しかったし、真剣にサッカーに向き合うア女のみんなを心から尊敬していました。言葉にしてしまうと、表面的な表現になってしまうけれど、4年間ア女で過ごした、という経験は今の私の自信になっています。
また、学連を務めさせてもらえたことも私にとってはいい影響を与えてくれました。学連での経験や他大学の選手との出会いは、競技として、選手としてかかわるサッカーだけでなく、スポーツの多面性にも気づかせてくれました。この経験は後に、シンガポールでのワーホリ、カンボジアでのボランティアを経て、青年海外協力隊への参加につながっているように感じます。

就活について
就職活動の時期のことは今でもよく覚えています。当時、私はやりたいことが定まらないまま就職活動を続けていましたが、自分は試合に出ていないのに、履歴書では日本一になっていて、面接では「日本一を獲った自分」を演じ、面接官からは自分の実力ではないことを評価されている(気がする)、という違和感を拭いきれずにいました。そこで、就職活動をやめ、昔から興味のあった留学をすることを決意しました。幸い、ア女の中にも、在学中に留学している先輩・後輩がいたので、相談にのってもらえたことも大きかったです。

留学中
留学先では、まずは語学、その後、国際関係論や教育について学びました。そして、アメリカ留学中に教育の重要性について実感をもって学び、教師になることを決意しました。
アメリカ留学を終え、日本に帰国し大学を卒業、4月から教員になることが決まり、10月からの半年の期間を使い、今度はアメリカ以外の国に行ってみたいと思い、シンガポールのワーキングホリデーを利用することにしました。シンガポールでは、早稲田のOBの方やサッカーを通した出会いに恵まれました。サッカーのコーチとしてお世話になった会社が、カンボジアでCSR活動を行っていて、カンボジア出張に同行させてもらい、クリニックや国際大会運営のお手伝い等も行いました。この経験から、スポーツの持つ力、発展途上国でのスポーツの重要性などを体感しました。そして、教員として仕事をしながらも、発展途上国の子どもたちにスポーツを通して人生が豊かになる、という経験をしてほしいと思い、青年海外協力隊に挑戦することになりました。


(↑ウガンダに住んでいた頃の近所の子どもたち)

青年海外協力隊
実際に青年海外協力隊になり、アフリカのウガンダへ行ってみると、派遣地域には電気も水もなく、日本のように治安がいい場所でもないので、想像以上の苦労がありました。それでも、実際に現地の人々とともに生活したことで、自分のこれまでの恵まれた環境に気づき、社会に還元できる人間にならなくては、と思うようになりました。残念ながら、任期の途中でコロナ禍により緊急帰国することになりましたが、今後も任地に戻るチャンスがあるので、今は日本の小学校で子供たちと過ごしながら、ウガンダでの経験を伝えていこうと取り組んでいます。


(↑帰国後の小学校での英語の授業で)

最後に
まず、ア女という高いレベルでのサッカーの経験ができたことは、フットボール人生において大きな財産となりました。今も、フットサルの日本リーグでプレーできているのは、ア女でサッカーをしていたからだと思います。
また、サッカーだけではなく、本当に多様なバックグラウンドをもつ人たちが早稲田にはいて、その人たちとの出会いも私にとってとても重要なものになりました。スポ科の授業だけでなく、オープン科目の授業も時間が許す範囲で受けるなどもしていました。「留学してみたい」「サッカー以外のことも挑戦したい」という思いがあっても、思いのままで終わってしまうことが多いかもしれませんが、そこで実際に行動に移すかどうかで、その後の人生が本当にまったく違うものになります。私は就職活動をやめ、留学を選択してよかったと思います。ただ、大事なことは正しい選択をすることではなく、自分の選択した道を正解にしていくような日々を送ることだと思っています。

つらつらとまとまりのない文章で長文をつづってしまい申し訳ありません。今回このような機会をいただけたこと、大変うれしく思います。ますますのア女の発展を応援し、ア女っ子たちが心身ともに健康ですごせることお祈りしています。
在学中~卒業後も、福さんにはたくさんお世話になりました。太陽のような存在で、すごく面白くて、いつも尊敬していました!今回もこうして縁をつなげていただき、感謝しています!ありがとうございます!


(↑ウガンダでのサッカー教室)

「サッカー」という枠組みを超えた先はまさに「世界」への扉を開けた感覚に陥ったのだろう。0から1への恐怖心と好奇心がせめぎ合った瞬間。決して、誰もが真似できないことから「経験」という財産に変え、ア女にその想いをそっと落としてくれた。

よりリアルに伝えてくださった新井さん、本当にありがとうございました。今の自分が本当に求めているとこは何なのか、真価を問い続ける大切さを学ばせていただきました。今回の繋がりも大切にしていきたいと思います。貴重なお話、ありがとうございました!

編集:井上