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東日本大震災復興支援ボランティア

こんにちは。
「早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター主催東日本大震災復興支援ボランティア」が6月8日~10日に気仙沼で行われました。
ア女からは、宮城県仙台市の常盤木高校出身の4人の選手(千葉・権野・一原・小野田)が参加しました。

現地では、「早稲田カップ」を開催し、気仙沼付近のスポーツ少年団が8チーム参加しました。
9日の午前中にはサッカー教室を行い、午後と10日の午前で大会が行われました。選手たちはア式と協力をしながらチームのサポートなどを行いました。

この船は、福島から津波で気仙沼まで流されてきて、家と人を下敷きにしてしまったそうです。

今、気仙沼では、この船を記念に保存するか論議になっています。
しかし、この船によって亡くなった方もたくさんいるので、遺族は一刻も早い撤去を望んでいるみたいです。

この話は、実際にボランティアに参加した千葉から聞きました。
話と一緒にこの写真を見せられた時に、たった一枚の写真なのにとても多くのことを考えさせられました。

ボランティア活動を終えての4人にコメントです。

小野田 莉子
「今回被災地に足を運び、自分の目で見てみると感じるものの大きさは全然違いました。
今自分が当たり前に生活して、当たり前にサッカーできている喜びを改めて感じることができたと同時に、だからこそ全力でプレーしなければいけないと思いました。
今回はたった2日間でしたが、逆にたくさんの元気をもらった2日間でした。
続けていくことが大事だと思うので、また行きたいと強く思いました。」

権野 貴子
「気仙沼のボランティアへ行ってみて、写真にあるように本当に何もなくて衝撃を受けたとともに、復興には時間がかかりそうだと感じました。
今回は小学生とふれ合うことが主だったのですが、一緒になって楽しむことができたし、たくさんの笑顔もあり、ボランティアに行けて本当に良かったです。そして、ボランティアへ行けたことは早稲田大学OBの方々の支援があったからですし、気仙沼の方々もア女の結果を気にしてくださっていたので、良い報告ができるよう今ある環境を当たり前だと思わず日々精進していきたいです。」

一原 梓
「今回ボランティアを通して学べたこと、感じたことが沢山ありました。その中でも1番感じたことは、被災地の復興はまだまだ時間がかかるということを実際見て感じました。
気仙沼の小学校へ行く道のりは家がなくなった跡、地盤沈下、道路に乗り上げた船、まだまだ震災の後が深く残っていました。一年と三ヶ月が経ち、メディアからの情報も少なくなって、世間には”もう大丈夫だろう”そんな空気が漂っていますが、実際決してそんな状況ではありません。これをボランティアへ行った私たちが伝え、また支援するきっかけ作りをしていかなければ行けないと感じました。
今回の経験で、これから被災地に貢献できることがあれば積極的に取り組みたいし、小さいことでもできることがあれば取り組んで行きたいと強く思いました。そして、私たちの今の生活は当たり前なことではないということを心に刻んで、一日を大切に感謝して生きたいです。」

千葉 梢恵
「この二日間という短い時間ではありましたが、とても貴重な経験をしました。震災から一年三ヶ月経ったものの、街は静まりかえっていて震災から倒壊しているままの建物もたくさんありました。また気仙沼は震災で地盤沈下した為、港から見える海面と地面がとても近かった事に驚きました。文字では書ききれないほどの被害の大きさを感じました。
しかし、子ども達は元気いっぱいで、逆にボランティアに行った私を元気づけてくれました。おもいっきりプレーしている姿を見ててとても癒されました。
今回強く感じたのは、サッカーが出来る環境に感謝する事。全てにおいて、あたりまえにしてはいけないという事です。
今回の貴重な経験を、経験していない人たちに伝えていき、いつまでもこの気持ちを忘れず過ごしていきたいです。」

 

短い時間ではありましたが4人は本当に貴重な経験をすることが出来たと思います。実際に行った人しか分からないこともたくさんあるでしょう。私たちも4人のコメントにあるようにサッカーが出来る環境にもっと感謝しなくてはいけないと思いました。

    

石田