diary-women

「ア女にいる私」vol.12 安住伊代

本日の担当は、3年安住伊代です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは!
本日、「ア女にいる私」を担当させていただきます。3年、学生トレーナーの安住伊代です。普段、皆さんの前に登場する機会はあまりないので少し落ち着きません(笑)
今日は、「ア女にいる私」をありのままお伝えできればなと思います。私自身、今までの思い出を振り返りながらこの文章を書くことを楽しみたいと思いますので、暇つぶし程度に読んでいただけると嬉しいです。

私はつくづく、人生何があるかわからないなと感じています。
2年のブランクが私にはありますが、その間1度たりとも「早稲田」を視野に入れたことはありません。私は希望学部に入る為にまっしぐらで、「早稲田」は母が2年目のセンター後にセンター利用の願書を出してくれていました。ですので、正直今まで「早稲田」の赤本もパンフレットや関連資料も開いたことがありません(笑)「早稲田」のスポーツ科学部に行くことが決まった後も、私は高田馬場に引っ越すものだと思っていました。
新入生オリエンテーションの際、ある先生が説明している最中に「毎年所沢キャンパスの存在を知らずに合格して、高田馬場に通うものだと思って入ってくる子が1,2人必ずいるんだよね~」などと話していて…。
あ、これ私のことだ!と思ったことを鮮明に覚えています(笑)
そんな私は言うまでもなく、学生トレーナーの存在を知らずに大学に入ります。加えて、サッカーとは無縁の人間でした。サッカーの経験も勿論無ければ、テレビで流れる試合すらまともに見たことがありません。(サッカーの試合が放送していたら、違うチャンネルに変えていました…)
2,3年前の私に「あなたは数年後早稲田に進学して、女子サッカー部の学生トレーナーをしているよ」と言っても絶対に信じてもらえないと断言できる程、今の私は、当時の私からは想像もつかない姿です。ですから、この文を書いている今も考えれば考えるほど不思議で、この段落の冒頭の言葉を思い浮かべてしまいます。

そんな私がどうしてア女の学生トレーナーに行きついたのか…。

大学に入るまでは空手道を続けていた私。しかし、私には大学でも選手として空手道を続けるという選択肢は微塵もありませんでした。
私の家族は両親、妹、弟共に空手道に打ち込む空手道一家です。
父は現役時代、日本代表として世界の頂点に立ちましたし、母も世界大会の表彰台に上るような代表選手でした。加えて、妹もアジアや世界の表彰台に立つ代表選手ですし、弟も全国で入賞するような、そんな家族です。ですから、両親・兄弟共に高校・大学とスポーツ推薦で進学し、その競技を極めていく道を歩んでいきます。
一方で私は全国大会に進める程度で、その先に行けるような人ではありませんでした。幼少期から両親に、空手道を含め何かを「やりなさい」とも「辞めなさい」とも言われた事はありません。やりたいことを自由にやらせてもらったし、今もそうさせてもらっています。
ただ、そんな家族の中で過ごす私の中では、大学までその競技を続ける人というのは、
日本のトップを狙える人。
その目標を目指し、努力し続けられる人。
その道を極める人。
そういった人が選択するものだと自然と思っていたのです。
もちろん、大学スポーツを続けている人が全てそうだとは思っていません。
「好きだから」「もっとうまくなりたいから」「ここでプレーしたいから」
様々な理由で続けている人がいますし、それが当たり前だとも思っています。けれども、この家族の中で生活してきた私には、自分が大学へ行ってまで競技を続けるというビジョンもモチベーションも無かったというだけの話です。両親が何か言っただとか、そういうものは一切なく、自分自身で自然と大学では何か新しいことを始めようと思っていました。

それがサークルなのか? はたまた大学から始められるスポーツなのか?

そんな風に考えていた私は、部活紹介で「学生トレーナーを募集しています」とたくさんの部が呼びかけているのを目の当たりにして、すぐに「これだ!」と思ったことを今でも思い出します。それからは、募集している部へひたすら見学の日々。それはもう、行っていない部活の方が少ないのではと思うくらいに(笑)
そんな私は、見学先の学生トレーナーさんに必ず聞いていた質問があります。
どうしてこの部を選んだのか、ということです。こう聞くと、不思議なことに多くの方が以下のように答えてくれました。
「なんとなくここかな。ここに入りたいって自然と思える部に出会えるよ。」
あぁ、そうか。私はそういう部に出会えるのだろうか。出会いたいな。そう思いながら見学を続け、ゴールデンウィーク前だっただろうか。本当に最後の方に、初めてア女に見学に来た時。あぁ、あの言葉は本当だった。こういうことかと感じた自分がいました。
「早稲田」のスポ科を見つけ、話を持ち掛けてくれた母には頭が上がりませんし、当時同じクラスで、熱心に見学に誘ってくれた同期2人にもとても感謝しています。

こうしてア女の一員になったわけですが、今振り返っても楽しい事ばかりではなかったなと改めて思います。学生でもあり、スタッフでもある。選手と社会人スタッフの間にいる中立な立場という難しさ。できる事と求められる事のギャップ。その他にもたくさんあるけれど、やはり一番きつかったのはア女にいる意味を見失ってしまった時。私が居ても居なくても何ら変わらない。そう思ってしまった時、ア女に費やす多くの時間が苦痛になってしまいました。
どんなに技術や経験を積んでも社会人スタッフの方の足元にも及ばないですし、先輩にも同期にも頼れる優秀な学生トレーナーがいる。自分が必要な存在だと思えなかった時、ある選手が何気ない会話の中でこう言ってくれたのです。
「伊代と話したら元気でたわ~。その笑顔まじで癒し」
この言葉に本当に救われたと同時に、私がア女で目指すトレーナー像・ア女での役割を見つけられた気がしました。ポジションを争う厳しい環境の中で、安心できる。落ち着ける。そんな癒しの存在になれればいいと。
怪我の対応、リハビリのサポート、体のケア。こういった業務は大切で、出来なければならないこと。それは大前提。学びの姿勢を疎かにする事はありません。けれど、トレーナー的業務は経験と失敗を積み重ねて学んでいくもの。誰かと比べて、私にはまだ出来ないと悲観しても意味がないのです。教えを乞うて、学び、出来ることを増やしていけばいいのだと。
技術的に優れたエリートトレーナーを目指さなくとも、内面的にもサポートできる癒しのトレーナーを目指してもいいのではないかと思えるようになったのです。
私になら悩みを吐き出せるだとか、サッカーを忘れられるだとか、怒りをぶつけられるだとか。ホッとするだとか。1人でも私を求めてくれる存在であれたらいい。選手・学生スタッフの心の拠り所になれる存在であれたらいい。
そんなトレーナーを目指したいと思っています。

その為に私が少しばかり意識していること。それは、
グラウンドではなるべく笑顔でいること。
心にゆとりを持ち、平常心でいること。
私が視界に入った時、だれか1人にでも良い影響を与えられていたらいいなぁ。

ここまで付き合ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
次の担当の子は、どんな思いを聞かせてくれるのかな?ぜひ読んでみてくださいね!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上です。
明日もお楽しみに!
阪本