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【インカレ特別企画】12の“WASEDA THE 1ST”物語―聖なる日に13度目の栄光を―

こんにちは。広報の森岡です。
いよいよ明日からインカレの戦いが始まります。
インカレにおいて、過去12回優勝を誇る早稲田大学。
13回目の栄光に向けた戦いに向け、当時活躍されたOBの生の声と共に優勝した各年度の物語を振り返ります。

12の“WASEDA THE 1ST”物語

―聖なる日に13度目の栄光を―

1955年(昭和30年)第4回大会

この年のインカレは3年生以下の新メンバーで戦った。決勝戦で東北学院大学を10-1の大差で破り、早稲田としての初優勝を果たした。
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▸当時「最強」と言われたFW陣のリーダーだった織田輝明氏の言葉

「新チームで挑んだこの大会監督の高橋さん(通称・ロクさん)は、未熟な技術に、経験不足な新メンバーでいかに戦うか!熟慮の末、走り回る体力と闘争心を駆使し、敵ゴールへ迫る『なだれ込み戦法』なるものを考えられた。
勝つためには点を取らねばならない、クリーンシュートも一点だが、頭であれ臍であれゴールラインを通過させれば同じ一点だと、練習の時から部員全員に説かれ思想統一を計られた。
本大会の試合で早稲田は、ボールを持ったら迷わず敵ゴール前めがけて蹴り前線に居る選手全員は相手ゴールを目指してなだれ込む戦法に徹した。(かっこよく言えば、パワープレイ)
それは、実り少ない徒労に終わる戦術とも思われたが、早稲田は繰り返し、繰り返し、試合終了のホイッスルが鳴るまで遂行した。その結果早稲田は技量を超えた力ある集団となり栄冠を手にした。
東伏見グランドの劣悪な粘土質の土に鍛えられた足腰と、最後まで諦めない伝統の闘争心は、予想を超えた勝負力を発揮し、このなだれ込み戦法は当時のスポーツ紙に『早稲田の専売特許』と称された。

今後も早稲田は、監督以下チーム全員が戦略・戦術をよく理解し消化し、WASEDA THE 1STの矜持を保って、フェアープレイに徹し試合終了のホイッスルがなるまで戦い抜き、そして勝利して欲しい。
また、選手・部員諸君は早稲田大学ア式蹴球部員としての栄誉を担っていることを忘れずに、日常生活においても切磋琢磨し、悔いのない学生生活を送られんことを祈ります。」

1966年(昭和41年)第15回大会

この年、森孝慈氏を主将とし、釜本邦茂氏をはじめ多くの日本代表選手を擁した早稲田は、学生として史上最後の天皇杯制覇を達成する。今も語り継がれる「黄金時代」である。インカレ決勝戦は、リーグ戦で同率優勝となった中央大学と戦い、4-0で勝利した。

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▸日本が誇る伝説のストライカー、釜本邦茂氏の言葉

「12月、私は森と共に日本代表としてバンコクで行われたアジア大会に出場していました。そして、アジア大会から帰ってきてすぐに行われたのが、インカレでした。疲労がたまっていたこともあり、普段センターフォワードが自分のポジションでしたが、後輩4名がフォワードに入り、後方から私と森がサポートするという、4-2-2のフォーメーションをとりました。
細谷、田辺、野田、中村。この4人が前に出たのですが、本当によく頑張ってくれました。天皇杯もこのメンバーで臨みましたから、天皇杯で優勝できたのも、インカレでの後輩の頑張り、勢いがあったからこそだと思います。
リーグ戦で中央大学に少し苦戦し、同率1位という結果になったこともあり、絶対に決勝で中央大学を破りたいと意気込んでいましたし、後輩の頑張りと中央大学へのリベンジ達成。これが何よりの思い出です。

現役諸君、リーグ戦、総理大臣杯の雪辱を果たせるよう、この大会にかけて頑張ってください。4年生の思い出に残るよう、下級生にも頑張ってほしいです。健闘を祈ります。」

1972年(昭和47年)第21回大会

決勝戦で延長の末、1-0で大阪商業大学を破り、優勝を果たす。4日間で6時間20分を戦う超ハードスケジュールをまさにチーム全員で戦い抜き、「奇跡のゴール」が大会を締めくくった。

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▸現在、横浜GSフットボールクラブのGMを務める青島直樹氏の言葉

「今年もまた、インカレの季節がやってきました。昨年度の第61回大会の決勝戦では本当に感動させていただきました。
富山クンのゴールはいまだに目に焼き付いていますし、打つ前にもうゴールを確信していた自分がいました。打つ前に声にならない「うぉ~~~!」
サッカーが世界NO1のスポーツといわれるのもこのような魅力があるからだと思います。
私もこの2ヶ月、毎週木曜日、仕事帰りに現役の皆さんの練習姿を拝見させていただいておりました。
早稲田伝統の泥臭く走るサッカーそのものですし、ほんとにエネルギッシュに走る姿に感動しています。

思えば、昭和47年、私たちが4年生の時、全部員で26名、史上最弱のチームといわれながらも、運良く関東リーグを勝ち上がりました。
そして、大会前の紅白戦は狂気の様相を呈し、味方を削ってでも試合に出たい、そしてリーグ戦と共に2冠をとりたい、全員がまさに阿修羅そのものでした。けが人続出で最後は9対9がやっとの状態でしたが、鬼と化した全部員の想いが、伝説の「神風ゴール」を生んで、優勝出来たのだと思います。
長いサッカー人生でも見たことのない、ボールの意志でゴールに勝手に入ったとしか思えないような軌道でした。
ゴール前に詰めて、目の前に来たのにボールに当たらず、私はボールとともにネットに突き刺さっておりました。

ここまでやってきた練習は決して裏切らないし、最後まであきらめない強い想いこそが連覇への道だと信じ、大会に臨んで下さい。
そしてこの大会が最後になる4年生のためにも、下級生の皆さんは「思い出作り」に協力してやって下さい。」

1973年(昭和48年)第22回大会

決勝の相手は関東リーグであと一歩及ばなかった法政大学。まさに「気力勝ち」といえる戦いぶりで3-0で法大を下し、連覇を果たした。

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▸U-20日本代表に選出された経歴を持つ、村松章隆氏の言葉

「早稲田の強みは、伝統に基づき「WASEDA THE 1ST」のスピリットとチームワークだと思います。私達の時代は、部員も少なく(40人前後)キャプテンを中心に、コミュニケーションが大変よく、時には、ケガ人も多く紅白練習試合も出来ない様な状態がありましたが、グランドマネージャー、主務マネージャーも選手として、練習試合に参加して、「必ず優勝するんだ!」と、全員がまとまり、大会に臨み優勝することができました。
しかも2年連続して、卒業式では、団体スポーツで名誉ある小野梓賞をいただきました。 現役のみなさん、特に4年生は最後の大会ですので、主将を中心に、1年~4年全員が、まとまって挑戦してください。
早稲田の強みを是非発揮してくれる事を、期待しています。」

1974年(昭和49年)第23回大会

決勝戦の相手は、大阪商業大学。「速攻」を武器に終始押し気味で試合を進め、史上初の3連覇を達成した。

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リーグ戦では屈辱の3位に終わった早稲田。リーグ最終戦で敗戦を喫した法政大学が1回戦で札幌大学に敗れるなど、波乱の幕開けとなったが、早稲田は、1回戦で四国代表愛媛大学に6-0で快勝。続く2回戦でも中京大学に3-0で勝利し、準決勝にコマを進めた。準決勝の相手は大阪体育大学。これも3-0としっかりと勝ち、決勝戦に臨んだ。関西の雄、大阪商業大学との決勝戦は、前半8分に西野朗から亀田忠幸につないだパスを川本章夫(現OB会長)が先制ゴール。後半古田篤良のPKで追加点を挙げ、2-0で勝利した。通算14得点無失点という見事な成績で、3連覇を達成した。

1978年(昭和53年)第27回大会

総理大臣杯でも優勝を果たし、大学の2つのビッグタイトルを獲得した。

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▸決勝点を挙げた植田祐一郎氏の言葉

「79年のインカレ決勝は、圧倒的な戦力を有する法政大学との3回目の対戦(総理大臣杯決勝、リーグ戦)となった。法政戦で、一番印象に残っているのは、夏の総理大臣杯決勝で、堀江先生のご指導の下、「全員攻撃・全員守備」、「技術一杯のプレー」を具現化できた数少ない試合だった。
その戦いと比較すれば、インカレは、部員全員のハートの強さから優勝できたが、防戦一方の試合となり、不遜な言い方かもしれないが、達成感は少なかった。勝負は時の運とも云うが、これがスポーツの面白み、理不尽さだとも思う。
インカレは、現役の皆さんにとって今年度最後の戦いとなる。特に4年生は最終戦となるが、全員のベクトル(one for all,all for one)を統一して、強い気持ちと平常心をバランス良く保ちながら臨んでください。
最後に、怪我で苦しんでいる後輩、メンバーに漏れた後輩、皆さんの心持ちが大切、ア式蹴球部での経験は将来必ず活きてきますので、ぜひ精進ください。13回目の優勝を祈念しています。」

1986年(昭和61年)第35回大会

「一人ひとりがキャプテンのつもりでやれ」堀江監督からこの言葉をかけられ、選手たちはそれぞれが自覚と責任を持ち、お互いを信頼し合える関係になった。決勝戦は4-0で東海大を撃破。まさに全員がヒーローになった瞬間であった。

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▸決定打となる3点目を決めた主将三橋透氏の言葉

「86年は秋のリーグ戦で東海大学に敗れ2位になり、悔しい思いをして選手権に臨みました。今年度と同じかと思います。選手権の決勝の相手も東海大学でしたが、試合開始から完全に気持ちで圧倒し、4-0の快勝でした。
リーグ戦後、どうやって選手権を戦おうかと4年生を中心に話し合いました。
結論としてはみんなで全ての力を出し切ろうということになりました。自分の力、仲間の力を信じて。そして出場する選手もしない選手も全員で。
寮長は寮の規律を厳しくして良い緊張を与えることにより雰囲気を盛り上げました。新人監督は1年生の気持ちを盛り上げ練習を活気づけました。本当に全員で勝ち取った勝利だと思っています。
また、負けることを恐れないことが大切です。失敗したらどうしようとネガティブに考えるのではなく、やってやるぞとポジティブに考えてください。実力は僅差ですので、気持ちが上回ったチームが勝利をつかめます。
人生最高の晴れ舞台で、全ての力を出し切り、全員で優勝を勝ち取ってください。
早稲田は絶対に勝つ!」

1991年(平成3年)第40回大会

再延長でも決着がつかず、130分の激闘の末PK戦で東海大学を破り、優勝。圧倒的な東海大学の攻撃力に、「早稲田圧倒的不利」と騒がれたが、下馬評を覆す形での勝利となった。

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▸大倉智氏(現湘南ベルマーレGM)の言葉

「第62回大会への出場、おめでとうございます。4年生にとっては、大学生活最後の大会であり、是非、悔いのない試合を期待しています。
第40回の大会で、ロンドンオリンピックで日本をベスト4に導いた名将関塚監督の下、現ア式蹴球部の古賀監督と5年ぶりにとった日本一は今でも、大きな誇りです。
1試合1試合、早稲田らしいスタイルで、日本一を目指して頑張ってください。」

1993年(平成5年)第42回大会

同年3月に松永章監督が就任。就任時「ファイトがない。サッカーが甘い。」と監督を嘆かせたチームが1年で見事な成長を遂げた。

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▸相馬直樹氏の言葉(※75年史より引用・編集)

「4年になり、主将に任命された私は、新任の松永監督と、そして同期の面々と共に総てのタイトルをとると目標を立てた。しかし、春の前に靱帯断裂ということで、チームに多大な迷惑をかけてしまった。また、重なるようにして副将の中村までもが負傷。リーグ戦では初の入れ替え戦という屈辱的なものがちらつくほど、散々な結果になってしまった。しかし、夏合宿の頃、厳しい状況を脱出できそうな兆しがでてきた。例年より長い12日間という夏合宿を乗り越え、チームは上昇の第一歩を踏み出したのである。
インカレでは、負のプレッシャーから解放されるかのごとく、圧倒的な快進撃を見せた。決勝の同志社大学戦では、私の先制点、1年外池の2点目、そして絶好調の原田が、豪快なフリーキックを決め、3-1で優勝を勝ち取った。こうして有終の美で4年間のフィナーレを飾ることができ、同期の仲間たちと国立で歌った校歌のことはよく覚えている。」

1994年(平成6年)第43回大会

初出場での栄冠を目指す駒澤大学との決勝戦をPK戦で下し、連覇。4年生を中心に、努力の末勝ち取った優勝であった。

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▸主将としてチームを先導した秋元利幸氏の言葉

「僕たちはリーグ戦で優勝を逃し、悔しい思いを抱えてインカレに臨みました。しかも、前回チャンピオンとして。なので、勝ちたいのはもちろんですが、それ以上に「早稲田の伝統のためにも勝たなければならない」と言う気持ちの方が大きかったです。
そんな中、思い出されるのが、当時、監督を務められていた松永章さんの言葉。
「さらけ出せ!!」「メッキはすぐにはがれる!」そして「ゴールはヘソで決めろ!」
現役の皆さんは何のこっちゃ?と思うかもしれません。大丈夫です。私も「何だ!?」って思っていました(笑)。
けど、今にして思えばそれは、「カッコつけず、体全てを使って闘い、本物の男になれ!」という監督なりの激励だったんです。メッチャクチャ厳しい方で、そうしないと「日本一」は獲れないという事を知っていたんでしょうね。苦しい試合ばかりでしたが、監督の言葉を実践し、そして、素晴らしい仲間がいてくれたおかげで、連覇を達成することが出来たと思っています。

今、東伏見で汗を流す現役の皆さんは、私の時と同じように、素晴らしい監督、素晴らしい仲間に恵まれていると思います。あとは、私たちにしかない「ア式魂」を胸に、全力で闘うだけです。私から現役の皆さんに言いたいのは、たった一言。

さらけ出せ!!

活躍を期待しています。」

2007年度(平成19年度)第56回大会

東京都リーグからのスタートだった4年生が悲願の優勝。有終の美を飾った。

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▸主将兵藤慎剛氏(横浜Fマリノス所属)からの言葉

「大学、ア式蹴球部を卒業して、早いもので5年が経過しましたが、大学生活の中での一番の想い出は、2007年のインカレ優勝です。
前年の決勝で大敗を喫した先輩たちの想い、07年のリーグ戦を2位で終えた悔しさ、大榎監督体制として臨む最後の大会、そして、4年間共に闘った仲間(山本脩斗/現・鹿島アントラーズ)が病気のために出場できないという状況、様々な人の想いを胸に刻み、臨んだ試合でした。結果として、2-0で法政大学に勝利し、優勝することができました。自身としては、1得点をあげ、大会のMVPも受賞することができましたが、Iリーグからトップに昇格し、4年時はレギュラーになった選手(藤森渉/現・エリースFC東京)の公式戦初得点がチームの勝利を決定づける2点目になるなど、本当にチーム一丸となって戦い、勝ち獲った悲願のタイトルでした。

現役の皆さんには、連覇というプレッシャーもあると思いますが、早稲田のエンジのユニフォームを着て闘える誇りを胸に、苦しいことも楽しいことも共に過ごした今のメンバーで試合に臨める時間を少しでも多くし、有終の美を飾れるよう、早稲田らしく闘ってくれることを祈っています。」

2012年度(平成24年度)第61回大会

ピッチ内外で“WASEDA THE 1ST”を誓い、5年ぶりの栄光を達成。

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▸全試合先制点の大活躍でチームに勝利をもたらした白井豪氏の言葉

「あっという間だったというのが、インカレの素直な感想です。決して全国の強豪校を甘くみていたわけではありません。チャレンジャー精神を忘れずに、全ての試合を決勝戦に挑む心持ちで闘ったからこそ、こう感じたのだと思います。
他の大学にはない歴史と伝統が重くのしかかり、かつ一発勝負であるトーナメントの難しさを考えると、その重さを足枷と感じるか、自分達の力(勢い)にできるか、ここで全てが決まるように思います。
結果は後から必ずついてくるので、今持てる力全てを出し切るための準備をして、全部員、ア式に関わり応援してくれる全ての人の思いを背負って頑張って欲しいと思います。リーグ戦の悔しさをぶつけ、優勝して、笑って、そして思いっきり泣いてください。期待してます!!」

史上最高12回の優勝を重ねてきた早稲田大学ア式蹴球部。

輝かしい歴史を築かれてきた先輩諸氏からの温かいメッセージを力に変え、必ず日本一の座を勝ち取ります。
明日、13個めの“WASEDA THE 1ST”物語がはじまります。
歓喜の瞬間を共に・・・。
ご声援お願いします!

◇◇◇
第62回全日本大学サッカー選手権大会 2回戦
早稲田大学vs関西学院大学
12月18日(水) 13:30キックオフ
@江戸川区陸上競技場

それでは失礼します。