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第5回早稲田カップ powered by adidas ー9.20‐21陸前高田復興ボランティアー

こんにちは、広報の海野です。

報告が遅くなってしまい申し訳ありません。
9月20日から21日の2日間、部員21名で岩手県陸前高田市にボランティアに行ってきました。

「早稲田カップ」の開催は、一昨年から陸前高田市と気仙沼市で毎年1回ずつ行っており、今回で5回目となります。
今回も、陸前高田市サッカー協会主催で「サッカーを通じて東日本大震災の被災地を支援しよう」という趣旨のもと、ア式蹴球部OBである加藤久さん(元日本代表主将・元日本サッカー協会特任コーチ)と早稲田大学競技スポーツセンターの協力で大会が実現しました。

会場となる気仙沼小学校仮説グランド(元長部小学校校庭)は、震災で多くの方が命を落とした場所で、天然芝のグランドになるまでには多くの方の協力と苦労がありました。

また今回もアディダス・ジャパン株式会社からの協力して頂き、スパイクを試し履きができるブース、キックターゲット、キックスピードコンテストなどのイベントが前回よりもパワーアップされ、試合の合間でも子ども達は楽しんでいました!!
また、選手の中にはグランドの横に建設されたクラブハウスのウッドデッキを作る手伝いもしました。

19日の夜に東伏見をバスで出発し、20日の朝にグランドへ到着し大会1日目の準備・運営をしました。到着すると、早朝にも関わらず保護者の方々と子どもたちがグランドの雑草を抜いて、整備をしている光景がありました。1日目は予選リーグを、2日目に順位決定戦を行いました。1日目の夕方にはアディダスの社員方との交流会、夜には現地の高田クラブの方々との交流会を行いました。

夜は、八瀬郷士文化伝承館に宿泊させて頂きました。

大会のようすを参加した部員のコメントと共に紹介します。
21名それぞれが自分の言葉で感じたことを書いていますので、長くなりますが是非最後まで読んでください。

堂本大輝(4年)
堂本

『当たり前のことに感謝』
五回目の参加となった今回はア式の代表として、アディダスの方や、コーディネーターの方と打ち合わせや企画から参加させていただきました。参加する子供たちはほとんどがまだ仮設住宅暮らしで、中には学校まで片道三時間かかるという子供もいました。
普段、当たり前のように人工芝のグラウンドで何不自由なく練習できて、学校に通っている。それらは当たり前のようで当たり前ではないこと、施設を使わしていただき、親やたくさんの方に支えてられていることをもっと感謝しなければならないと感じました。
まだまだ建物や街の修復というハードな面で完全な復興まで時間がかかると思います。
いつか、子供たちがなんの不安もなく全力でサッカーができるために、自分にできることをこれからも続けていきたいと思います。

小川弘志(4年、写真左)臼倉宏(1年、右)
小川 臼倉1

小川弘志
この度の早稲田カップを通して二つの事を感じました。一つ目は過去から学ぶことです。この震災を通して、多くの辛いことを経験した人がいると思います。この経験を活かして一人一人が本気で安全について考え、このような震災が二度と繰り返されないようにすることが一番大切なのではないのかと感じました。二つ目は責任です。私は花泉FCというチームを担当していたのですが、お別れの際に一人の子供が私のつけていた名札をとり自らの鞄に嬉しそうに貼っていました。私はそれを見た時に、嬉しさと同時に彼らに恥じぬように生きていく責任があると感じました。彼らに夢を与え続けられるように一瞬一瞬を生きていこうと思います。最後にこの場を借りて、この早稲田カップにご協力頂いた全ての方に、感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。

臼倉宏
今回初めてこの早稲田カップに参加させていただきました。個人的なボランティアとして被災直後に宮城県の石巻に赴いた経験があり、東日本大震災に伴った津波による被害の現状を目の当たりにしてから3年、今回改めて陸前高田市のボランティアに参加させてもらえる機会を頂き、立候補しました。陸前高田の方々、主に子供たちとのサッカーによる交流を経て、子供たちの素直な言動や行動、そしてなにより無邪気な笑顔から溢れる大きなエネルギーにただただ圧倒されました。自分に出来ることは限られていますが、被災地の方々の為に出来ることは積極的に行動に移していきたいと強く感じました。それと同時に、津波の被害にあった土地に自分の足で立ち、被害にあった建物の傷跡を自分の目で見て、被害にあった方々や子供たちと触れ合うことで得た大きなものを自分の未来、そしてア式蹴球部の未来へと繋げていく使命を感じました。今回の早稲田カップの開催に携わってくださった全ての方々に感謝致します。

山本有一(3年、写真左) 飯泉涼矢(1年、右)
山本 飯泉

山本有一
今回自身3度目となる被災地陸前高田市に訪れ、改めて復興の遅れや、東日本大震災の風化を感じた。毎回被災地を訪れるたび、復興へ向けての変化は感じるものの、震災から三年半経ったのにも関わらず、未だに家を建てることのできる高台を作るための土を盛る作業が続けられていた。新聞やニュースで被災地の現状を報道することが少なくなってきた時期だからこそ、実際被災地に足を運び、自ら見ることによって何かを感じて欲しい。また今回行った早稲田カップについては、昨年と同様に大船渡三陸FCシーガルというチームに付き、一緒に時間を過ごさせていただいた。この一年間での子どもたちの成長を感じるとともに、自分のことを覚えていてくれた嬉しさや、サッカーにおいては本気でボールを追っかけ、ゴールを奪う楽しさ、チームが勝つ喜びを改めて感じさせられた。サッカーをする環境が恵まれているとは言えない中、無邪気に元気良くサッカーを楽しむ子どもたちに勇気やエネルギーを貰い、今回の大会開催にあたって準備や支援をしてくださった方々や、大会に参加してくれた人々に感謝したい。

飯泉涼矢
僕は今回初めて被災地へ行きました。被災した場所というのは正直まったく想像もつかずどんなものかと思っていました。被災地へ行った人から聞く話は何度も聞いたことがありました。ですけど、やはり行かなければ分からないことがたくさんある、と感じ被災地の方々は非常に深い傷を受けたということを感じました。
その中で僕たちが教えた子供たちは元気に好きなサッカーを一生懸命やっていて、むしろ僕の方が元気をもらう形になってしまいました。初めて会う子供たちもすぐに僕に懐いてくれてとても充実した2日間でした。当たり前に整備されたグラウンドがあって道具があって、という環境がどれだけ贅沢なことかということを本当に感じました。僕たちは本当に親の存在、周りの友達に感謝しなければならないことがよくわかりました。縁という言葉を向こうで耳にして、僕は自分のできることを精一杯して人の為に活動していきたいと感じました。これからは子供たちの為にも僕がプロサッカー選手になってこれ以上の夢や、希望を与えていきたいです。今回このボランティアに参加できて本当によかったです。

川井健吾(3年、左) 野田紘暉(1年、右)
川井 野田

川井健吾
今回2度目の復興支援ボランティアになりました。前回よりも復興が進んではいるようにはみえました。しかし土地のかさ上げのために整備された盛り土があちこちにみられ、生活感がなく人工的な風景は普段自分が生活している環境との違いに大きな衝撃を受けました。復興にはまだまだ時間が必要であるということを考えさせられました。
大会では今年も昨年と同じチームを担当しましたが、1年ぶりに会うこどもたちの成長を感じることができ、中には自分のことを覚えていてくれるこどもたちもいてとても嬉しかったです。大会では優勝することができ、こどもたちの気持ちのこもったプレーには心を動かされました。
こうした早稲田カップがいつか被災地が復興し、復興支援としてではなくア式蹴球部と陸前高田や気仙沼の方々との交流の大会として長く続いていってほしいと思います。まずは一刻も早く被災地が復興できるように少しでも力になれることがあればやっていきたいと思いました。

野田紘暉
今回の早稲田カップでは、本当に多くの人の支援と尽力によって開催され 、子供達と、そして自分達も笑顔と元気をもらうことができました。サッカーというスポーツは、皆を元気にさせる力を持っているということを改めて実感し、素晴らしい環境で今サッカーができていることに対して、本当に感謝の気持ちを持ってサッカーをしていかなければいけないなと思いました。また、被災地に初めて行き、今もなお被害を受けた建物などがあるのを見て、自分が何も知らないまま被災地に行き、逆に子供達から元気を貰ったことに対して、情けない気持ちでいっぱいです。今の自分には、子供達にサッカーを教えたり遊んだりすることしかできませんが、これからは積極的に今の自分に出来る事をやって行きたいと思います。

市村一貴(3年)
市村

今回私は始めて被災地を訪れました。津波の被害を大きく受けた陸前高田市では、復興は進んできてはいるものの、まだまだ先が見えない状況で、更に多くの人の協力が必要であると感じました。しかし、実際には東日本大震災に対する認識が薄まってきてしまっていると思います。被災地の人達が最も恐れるのは東日本大震災が風化していくことです。この風化を防ぐために何をすべきかを考えなければならないと感じました。被災地支援の方法は様々です。ボランティアをするのも一つですし、被災地に行って、そこでお金を使うことも被災地支援になります。より多くの人が被災地支援の為にできることを考えて行動してほしいと思います。私自身も今回ばかりでなく、今後も被災地の為に出来ることを全て行っていきたいと思っています。
また、早稲田カップにおいて私が担当した江釣子FCのチームの子ども達からサッカーに対して真摯に取り組む姿勢が見られました。毎試合後にはみんなで反省ミーティングを行ったり、個々の良かったところ、悪かったところをそれぞれサッカーノートに書き込んだりしていました。そんな姿からは、逆に学ばされることも多々ありました。
みんなとの別れ際、江釣子FCの子どもたちが「サイン下さい!」と言って集まってきました。嬉しかったと同時に必ず日本一になって、そのサインの価値を高めることでみんなに恩返しをしてあげたいという気持ちになりました。まずは抱える怪我をしっかりと治して、頑張りたいと思います。

後藤雅明(2年)
後藤

今回初めて陸前高田のほうにボランティア活動に参加しました。2日間という短い間でしたがとても貴重な経験をすることが出来て、このような機会を設けてくれた人たちに感謝したいと思います。実際、陸前高田に行ってみると震災の影響がどれほど大きかったか肌で感じることが出来ました。そんな中サッカーというスポーツを通じて子供たちと触れ合い、ボランティアとして来た自分自身が元気やエネルギーをもらいとても刺激を受けました。現在、自分の周りには好きなサッカーが出来る素晴らしい環境があることに感謝したいと思います。そして、今回の経験を活かし何事にも一生懸命取り組んでいきたいと思います。

三島翼(2年)
三島

今回、自分は初めてボランティアに参加させて頂きました。ずっと行きたいと思っていたのですが都合が合わず、やっと行くことが出来て本当によかったと感じています。現地に着いて、子ども達とふれあい、早稲田カップを開催していく中、一番強く感銘を受けたのは被災地の子ども達の周りの大人達の献身的なサポートや運営、早稲田カップに対する姿勢の素晴らしさでした。もちろん子ども達の純粋でまっすぐな姿勢も素晴らしいと感じましたが、そのように子ども達に一生懸命プレーさせてあげたい、いい思い出をつくってあげたいという大人達の強い思いが随所に感じられ、誰かの為に全力で取り組む人はこんなにも輝いているのだと強く感じました。子ども達だけでなく大人達も被災者なわけで、色々な苦悩を抱えていると思うのですが、そんなことを感じさせることなく明るく子ども達に指導している姿をみて、感動しました。そんなことを考えている中、2日目には加藤久さんがいらっしゃって、「他人の為に何かをしていると、将来そのことが、自分の為になっていることに気がつく」という話をしてくださいました。今まで自分は自分の為にしか行動してこなかったなと考えさせられました。これから先、復興支援などのボランティアはもちろん、日常生活でも、他人の為と自分の為が一致する行動をとって行きたいと考えました。誰かの為に全力を尽くせる人々がいる限り、必ず復興出来ると確信しました。自分も誰かの為に何かをするために、機会があるならまた復興支援に行きたいと強く思いました。いい経験をさせて頂いたと感謝しています。ありがとうございました。

田中太郎(3年)
田中

今回私は早稲田カップを通じて、震災後初めて東北を訪れることができました。
グランドにと到着するまでのバスから目にしたものは海岸沿いに広がる更地やプレハブ小屋、土地を高くして新たに居住スペースを作るための土の山。サッカー大会の手伝いできているにも関わらず、こんな土地をグランドに変えてサッカーなんてとてもじゃないができない。もっと経済的な復興に直接寄与できるような施設を作るべきだ、と感じました。
しかし早朝にグランドに到着してまず目にしたのは、親の会の方々によってほとんどラインの引き終わったグラウンドでした。そしてそのグランドは大会が始まると、子供たちの笑顔と親御さんたちの歓声で埋め尽くされました。
その光景を見て私は心からスポーツが人々に与える希望の大きさを感じることができ、こういった経験が子供たちのこれからに必ず活かされる日が来ると感じました。まだまだ復興は進んではいませんが、スポーツをきっかけとして生まれた希望や多くの人の笑顔は、いつかグラウンドだけでなく、東北の地全体が活気溢れる地になることを予感させてくれるものでした。

仲谷将樹(1年)
仲谷

私は陸前高田に初めて行かせてもらいましたが、最初の印象としては本当に何もないなというものでした。しかし、グランドに着いたときに何もないところに素晴らしい天然芝のグランドがあることに感動しました。そして大会が始まると子供たちの純粋に笑顔でサッカーを楽しむ姿を見て、嬉しい気持ちと共に自分がどれほど幸せな環境で生活を送り、サッカーをさせてもらっているかということに気付きました。またそのような子供たちの笑顔が大人たちに元気を与え、本当に復興の力になっているのだろうなと感じました。この早稲田カップに参加したことで自分の毎日の練習に対する考え方が変わりました。子供たちが校庭で満足にサッカーができない環境で必死にがんばっているように、自分も今の環境に感謝して誰かに元気や勇気を与えられるような人間になりたいと思いました。

牟田翼(3年)
牟田

9月20、21日に早稲田カップの大会運営として陸前高田へ行きました。陸前高田に行ったのは2度目で、前回担当した鬼柳の子どもたちと再会し、成長した姿を見れたことがとても嬉しかったです。東日本大震災から3年半、まだ震災の爪痕を残している場所もあるなかで、早稲田カップを開催できたことは本当にありがたく、感謝すべきことです。復興に必要なものはたくさんありますが、そのなかでも、忘れないこと、風化させないことが特に大事だと思います。震災から時間が経ち、以前より人びとの関心が低くなっています。現地の人も昨年よりは訪れる人の数が減っていると言われていました。だからこそ、今回、現地を見てきた自分たちが周りの人に経験を伝えるためにも、情報を発信していかないといけないと感じます。そして、これからもできるかぎりのお手伝いをしていきたいと思います。

松本渉(1年、左) 金島遼(1年、右)
金島 松本

松本渉
はじめて被災地である陸前高田に行きまず思ったことは、思っていた以上に復興が進んでいないということです。3年半という月日が経った今でも、被災した地域にはほとんど何もなく、まだ土を運び入れている段階ということに率直に驚きました。またそれと同時に、災害が起きてから今まで何もせずにいた自分が情けなくなりました。復興が進んでいないという現状を多くの人に知ってもらう必要があると感じたので、自分の経験してきたことを伝えるとともに被災地に足を運んでもらえるように努力していきたいです。自分自身もまた来年訪れたいと思います。また早稲田カップを通じて、加藤久さんの仰っていた、他人のためにしたことが逆に自分のためになっていることがある。ということを少し感じることが出来ました。
このボランティアを通して得た経験や教訓を忘れずに今後に活かしていきたいです。

金島遼
子供たちが純粋にサッカーを楽しんでいる姿を見て、多くの元気をもらいました。スポーツを通して人は繋がれると感じました。彼らの憧れの存在となれるよう、自分たちの周りの環境に今まで以上に感謝の気持ちを持ってやっていくべきだと思います。そして、まだまだ復興が追いついていないというこの現状を、忘れてはいけないと思います。

西本八博(2年、左) 渋谷勇太郎(2年、右)
西本 渋谷

西本八博
僕は、去年の陸前高田に引き続いて、2度目の参加でした。今回は昨年いた子供の成長を見ることや昨年見た景色がどのように変わり復興がどれほど進んでいるかを自分の目で感じたいという思いと、東北の被災地復興のために小さなことでも自分にできることをしたいという思いで参加しました。昨年いた子で、なかなか試合に出ることが出来なかった子が、今年はチームの中心になってサッカーをしている姿や、今年キャプテンとなり、責任感がより増した子どもの姿をみて、1年で大きな成長があり、この成長が復興へ大きなものになるのだと思いました。また、昨年はなにもなかった場所にベルトコンベヤーがあり、土が高く盛られていたり、グランドの近くに家が建てられたり、グランド周りが整備されているのをみて少しずつ復興が進んでいることを実感しました。しかし、進んでいるとはいえ、その進み具合はまだまだ十分とは言えない状態で、自分は子どもたちにサッカーを教えることしか出来ないという微力さを感じました。早稲田カップに参加することで、人と人とのつながりを強く感じました。この大会を企画してくださった加藤久さん、陸前高田のサッカー協会の方々のおかげで早稲田カップを行うことができ、自分の力だけではどうすることもできないことであっても、多くの人が協力することで大きなものを作り上げることができることを強く感じました。僕は印象に残っていることがあります。懇親会の席でOBの鈴木さんがあいさつをされたときのことで、涙ながらにありがとうと一言おっしゃられたことです。自分なりの解釈ですが、震災後被災地への多くの支援がありましたが、一人一人への支援というものはそれほど大きなものではなく、被災地の方々は大きな不安を感じていたかもしれません。その中で、鈴木さんは東北のために動いている自分たちをみて、安心や喜びを感じて涙をながしたのかと考えたら、被災地へ行って現地で何かをすることに大きな意味があるのだと思いました。今回のボランティアで感じたことをサッカーで表現していくことももちろんですが、被災地へ行って何かをすることの意味を自分が色々な人に伝えていくことが大切なのではないかと思ったので、今回感じたことを行動に変えていけるようにしていきたいです。

渋谷勇太郎
2日目に「奇跡の一本松」を見に行ったとき、周辺に土を運ぶためのベルトコンベアが大規模に建設され、去年行った時と景色がまるで違い、驚きました。しかしそうした復興が進んでいる面もありますが、早稲田カップに参加した子供たちの多くが仮設住宅暮らしを余儀なくされているという現状もあります。「復興」について深く考えさせられました。また私は高田FCを担当しましたが、最後の試合まで勝つことができずにいた中で、最後だけは勝って大学生に喜んでもらおうと一生懸命に戦う姿をみて心を動かされました。子供たちが純粋にボールを追う姿やそれを支える地域の方々をみて自分が勇気を与えようと思いましたが逆に勇気をもらう形になってしまいました。ボランティアで大事なことはその後どうするかだと思います。少しでも「復興」のためになることを考えて行動して行きたいと思います。とても貴重な経験をすることができました。

斉藤康平(2年、左) 鈴木崇文(2年、右)
斉藤 鈴木1

斉藤康平
今回で2回目のボランティア参加となりました。昨年の4年生の子供たちが今年はひとつ上の学年に上がり、同じチームを担当した時に僕の名前を覚えていてくれました。今回、僕は人との縁、つながりがとても大切であると感じました。この出会いがこれから子供たちに影響してもしかしたら早稲田に入りたいと感じてくれるかもしれません。そのためにも僕たちは憧れの存在でなくてはならないと感じました。また今回サッカーをしたグランドは津波で住宅街が流されてその跡地にできたものであったり、津波で被害を受けた人たちがたくさんいたりと多くの背景があって、僕の周りにある環境は当たり前のものではないと改めて実感しました。今ある環境に感謝し、また日々精進していきたいと思います。

鈴木崇文
今回初めてボランティアに参加させてもらい、率直に参加して良かったと思えるボランティアでした。子どもたちと触れ合い、子どもたちに元気を与えるはずが自分の方が元気をもらい、また、元気を貰った恩返しの為にも関東リーグに自分が出場してチームを優勝に導き、大学選手権でも日本一をとって、夢や希望を与えたいと思いました。
陸前高田のグラウンドは凸凹でとても良い環境とは言えませんでした。東伏見の人工芝の素晴らしい環境で綺麗なトイレもあり、シャワールームもあり、部室があることが当たり前ではなく、自分が周りの人に支えられて東伏見でサッカーできていることに改めて感謝の気持ちを感じさせられました。また、この経験を忘れることなく、これからもずっと陸前高田を支えていきたいです。

廣谷未宇(4年、MG)
今回私は2回目の早稲田カップ参加となりました。1年前に訪れた時より整地は進み、復興に向けて進んでいるかのように思いましたが、まだまだ仮設住宅は多く、元の生活になかなか近づいていない現実は変化していませんでした。変わらないものが多くあるなか、子供たちが楽しそうにサッカーをしている姿、それを優しく見守っているご両親の姿もまた変わらずにそこにはありました。
「夢ある未来に願いをこめて」復興工事を知らせる掲示にあった言葉ですが、老若男女に関わらず、より多くの人の夢ある未来のために自分達ができることは何か。1つ1つのつながりを大切にして、小さなことでも、直接的でないことでも行っていこうと思います。
ご参加いただいた皆様、携わってくださった皆様、本当にありがとうございました。

◇◇◇◇

早稲田カップが終了し、東伏見に出発するまでの時間に陸前高田市街を回りました。
1年前にはなかった県外へ砂を運ぶためのベルトコンベアーが設置されており、少しずつ復興が進んでいるのを感じるのとともに、初めて現地を訪れた部員は津波の被害を受け残ったままの建物や景色を見て、先ほどまで子どもたちに見せていた表情と違った表情で色々なことを感じているように思えました。

道の駅

ベルトコンベアー

街2

街

復興屋台村である気仙沼横丁で、夜ご飯を各自で済ませ、現地の方とも交流しました。
復興屋台村

◇◇◇◇
早稲田vs高田FC

成人の部で対戦した、高田FCのみなさんと

全体写真

最後に、大会に参加して頂いた子どもたち・保護者の方々とともに

◇◇◇

私が、今回3度目に現地を訪れ考えたことは、東日本大震災がどこか過去の出来事のようになってしまっているということです。現地の方々は、今も震災と向き合い続けて生活をしていることを忘れてはいけません。過去の出来事のように、風化させることはあってはならないと強く感じました。そして、ア式蹴球部を卒業してからも、どのようにして被災地支援活動に関わり、個人として継続させることができるかを考えました。それをしっかり行動に移し、この現地の皆さまとのつながりを一生大切にしていきたいと思います。

ア式蹴球部として継続した被災地支援活動を行うだけでなく、個人としても、この現地の皆さまとのつながりを一生大切にしていきたいと思います。

次の早稲田カップは明日から11月22日、11月23日で気仙沼で行います。
今後も継続して自分たちなりに被災地と向き合い続け、行動を起こしていきたいと思います。

それでは失礼します。