contribution

早稲田カップin陸前高田 感想

 

平素よりお世話になっております。社会貢献3年の大和です。

10月20、21日に開催された早稲田カップを通して、参加した部員一人ひとりがたくさんのことを学びました。今回の経験をこの早稲田カップだけにとどめることなく、今後の活動に繋げていきたいと思います。また、今回部員が感じたことを世の中に発信することで、東日本大震災について少しでも関心を持っていただけたら幸いです。

以下に参加メンバーの感想を掲載します。

 

 

2年 小野寺拓海

月日が経つのは早いもので、東日本大震災からもうすぐ八年になります。岩手県花巻市出身の私は震災発生当時、一人家で留守番をしていました。立っているのがやっとの大きな揺れを感じた私は、慌てて家の外に飛び出しました。急に起きた経験したことのない恐怖を前に、小学生だった私は泣きわめいていました。あの経験を経て大学生になった私が、地元岩手の陸前高田市で復興の一助を担えることに特別な使命感を感じ、今回の早稲田カップへの参加に至りました。
早稲田カップの運営を通して感じたことは、子どもたちが持つ大きなパワーです。試合が終わると休む間もなくボールを蹴り、お昼ご飯そっちのけでサッカーに励む彼らは眩しく、そしてたくましく思えました。中には大きな悲しみを抱えている子がいたのかもしれませんがそれを微塵も感じさせない、はつらつとした姿に復興の希望を垣間見ることができました。そんな彼らの活発な姿とは裏腹に思ったような復興が進んでいないのが現状です。すがとよ酒店の菅原さんが「震災の記憶は風化の一途をたどるばかり」とおっしゃっていたのが私の胸に突き刺さりました。これが被災者の方が感じている率直な気持ちなのです。忘れてはいけない、忘れるはずのない記憶が遠い過去のことになりつつあるのです。確かに港周辺の街は整備され生活基盤は戻りつつあるのかもしれませんが被災者の方々の気持ちに寄り添うことなしに復興は成し得なせん。月日の経過とともに忘れ去られてしまう、失われた尊い命の重み、悲惨な出来事をいかにして記憶にとどめるか、これが今後の大きな課題なのです。
今回のボランティアを通じて、私たちにできることはあまりにも小さく微力であることを痛感しました。被災地の方々が復興を遂げたと思えるまでにはまだまだ多くの時間がかかるでしょう。10年、20年かかるのか100年先のことなのかは誰にもわかりません。それでも、いつの日か復興を遂げ過去を振り返った時、被災地の方々の記憶の片隅に私たちア式蹴球部の存在があるなら、活動の意義を見出すことができます。その未来を達成するために、これからも被災地の「今」を発信し続け復興の一端を担っていきたいと思います。

 

2年 金田佑耶

今回陸前高田市へのボランティアへ行くことは、私自身ア式の活動としては初めての参加であったし、今まで東日本大震災が起きてから一度も被災地へと赴くことがなかったためア式の活動を除いても今回が被災した地域に行くことが初めてであった。
まず、被災した地域を目の当たりにして思ったことは、自分が想像していた復興度合とは大きくかけ離れていたことに驚きを隠せなかった。まっさらな道路、ただひたすら平地が続いていた。
そんな中いざ、グランドについてみると綺麗な天然芝にしっかりとしたゴール、立派なクラブハウスが並んでいた。
それは、たくさんの方々の支えがあってなされたものだと思ったし、こうして私達ア式蹴球部がその場を借りて被災地の子供たちへと夢や希望、そして元気を与えられる環境があることに本当に感謝したいと率直に感じた。
いざ、早稲田カップが開催されるとやはり子供達の元気さに圧倒されることが多く、逆に元気をもらうことの方が多かった。また、子供達の親御さん、コーチの方々からも早稲田カップを開催するにあたってたくさんの支援をしていただいた。
本来ならば私たちが、支援をしなくてばならないのにと思いつつも地元の方々のあたたかさに心をうたれた。
私たちの想像を絶する体験をしているのにもかかわらず何もなかったかのように、決して嫌な顔もせず接してくださったことに感謝の気持ちと共にこの活動を通して子供達に何かを感じてもらいたいと思って接していった。
私はサンアルタスさんの担当となり、まず子供達の主体性に驚き圧倒されていた。本当に心の底からサッカーを楽しむ姿、試合に出たくてたまらない感覚、私も当時感じていたものを思い出させてくれたきがする。
今回陸前高田に行くことで改めて自分が今置かれている環境の素晴らしさ、ありがたさを認識できた。
これを認識できたのも、これまで続いてきた早稲田カップという伝統があったからであり、これからもこの活動を通して多くの人とのつながりを大切にしていきたいと思うし、これからより強固な繋がりとしてあり続けられるように努めていきたい。

 

3年 笠原 駿之介

今回初めてこのボランティアに参加した私は様々な想いを巡らせながら岩手県は陸前高田市まで向かった。商店街や工場が立ち並んでいたであろう場所は平らな更地になっていた。とはいえ陸前高田の街は整備され、新たな住居が建ち、店が軒を連ねる。早朝に到着した私たちは、この街に本当にあの津波が来たのかと思うほど静かでまだ薄暗い風景を眺めていた。
今年で7回目を数える復興支援ボランティア、早稲田カップ。私が担当したのはFC山田ヴェルエーニという初参加のチームだった。ウォーミングアップ時の鬼ごっこやドリブルシュートでのはじける笑顔がとても印象的で接している私たちまでも元気が溢れる、そんな明るいチームだった。私の手の怪我を狙って攻撃してくるやんちゃな子もいたがそれもまた楽しく過ごせた要因だった。ただ試合になると一転、真剣な表情で必死にボールを追いかけ相手に喰らいつく。惜しくも4位という結果に終わったが、純粋にサッカーをチーム全員で楽しむ姿はとても印象に残った。また、父兄や指導者の方々にも温かく迎えていただいて充実した2日間を過ごすことができた。関係者の皆様、ありがとうございました。
最終日に聞いた震災当時のお話、覚悟して聞いていたつもりではあったが、やはり胸を締め付けられる思いだった。また、至る所に残された爪痕、建物に印された、当時の津波の高さを物語るライン。まだまだ私の知らない現状がそこにはあった。ただ、子供達の笑顔からもわかるように常に前進しているのは確かなことだった。私たちも出来ることを続けていくしかない。心に残る今回の2日間を忘れずにこれからも生活していきたい。

 

1年 佐藤 航大

今回初めて早稲田カップに参加させて頂きました。
2日間という短い期間でしたが、実際に被災地へ足を運ばなければ知ることができない、非常に貴重な経験をすることができました。
津波にのまれたものの流されず残った小学校やアパートを見たり、震災時の体験談を映像と共に聞いたりすることにより、改めて東日本大震災による被害の大きさに驚かされました。
私はFC山田ヴェルエーニの子供達を担当したのですが、常に全力でボールを追いかけ、サッカーを楽しんでプレーしている彼らの姿から元気を貰うと共に、私自身が忘れかけていたサッカーを楽しむ大切さを再認識させてくれました。子供達の笑顔が私だけでなく周囲の大人達にも元気を与えており、復興へと向かう被災地にとって子供達の笑顔は宝物であると思いました。
最後になりますが、今回の早稲田カップに開催するにあたり、多くの方々にご支援していただき、普段の生活では経験することのできない体験をさせていただきました。来年も参加させていただき、微力ながら復興へ携われればと思います。

 

3年 大和 翔

自分は今回で3回目の参加となりました。毎年行って感じるのが、東北の方々の温かさや、子供達の純粋にサッカー楽しむ姿に触れ、元気づけられるということです。今年は少しでも子供達にサッカーの指導などで還元できればという思いで臨みました。鬼柳のみんな、ご父兄、スタッフの皆さん短い間でしたがお世話になりました。将来、このメンバーの中から早稲田大学ア式蹴球部で活躍する選手がでてくることを心から願っています。

話が変わりますが、7年前、当時中学2年生だった私は、同じ東北の地で震災を経験し、当時はなにもできずにテレビでただ見ているだけでした。今回、こういった機会を通して微力ではありますが、復興に携われるということに光栄に思うとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。訪問のたびに少しずつではありますが、マンションなどが建っていたり、道路が整備されていたりと、復興の兆しが見られていると自分は感じました。月日がたち、徐々に震災のことを忘れかけている状況の中で、自分たちができることは、こうした活動によって、被災地の今を世間に発信し、広めることだと思います。今回の活動だけにとどまらず、東京に帰ってからも、この経験を今後の社会貢献活動に活かせるよう精進してまいります。

 

3年 道渕 和基

今回初めて陸前高田の早稲田カップに参加させていただきました。担当させてもらったチームは私が小学生の時に所属していたなかのFCでした。当時お世話になったスタッフの方々も参加してくださり、このような形で再び会えたことを何より嬉しく思いました。復興支援という形で何か力になりたいと参加した早稲田カップではありましたが、子供達の無邪気さ、溢れる笑顔、そしてパワーにただただ圧倒されました。スポンジのようにすぐに色々なことを吸収し、1試合1試合大きな成長を感じさせてくれる子供達に私自身勉強させていただくことばかりでした。
また、バスの中から陸前高田の街の景色を見る機会がありました。震災、津波の被害を鮮明に思い出させる風景が広がっていました。復興はまだまだ進んでいないのが現実です。震災から7年。多くの日本人の記憶の中から東日本大地震が薄れています。だからこそ、私達が風化させないために早稲田カップを通して世間に発信していくことが大切だと感じました。

 

1年 松浦 一貴

なぜ早稲田カップに参加しようと思ったかというと、小学6年生の時に、帰ってくると両親が大きな地震が起こったと教えてくれたので、テレビを見ると街が津波で流され火災が起こり、まるで同じ日本だとは思えないような光景だった。そして、地震が起こった後に多くの人が寄付金を送ったり、ボランティアとして被災地に向かったりしているというニュースを見て自分に何か出来ることはないかと考えながらまだ幼い自分では何も出来ないことをもどかしく思っていた。そんな中、ア式蹴球部に入り陸前高田に行くと言う話を聞いたときにサッカーをする事で微力でも力になれるのではないかと感じた上に、大震災から7年が経ちほとんどニュースでは放送されなくなってしまった被災地の現状を目にしておきたいと思ったのが今回参加した理由だった。一緒にサッカーをしていて感じた事は、子供達や保護者の方々は楽しそうにサッカーをしていたが、その背景には多くの辛いことや悲しいことがあったのだろうか、などと考えると自分が今の環境でサッカーが出来ている事は当たり前ではなく、感謝をしながらプレーしなければならないと感じた。また、気仙沼や陸前高田の街を見て自分が思っていた以上に復興が進んでいないと感じた。もちろん、多くの店は営業再開し、生活に苦しむような状況ではない。しかし、海岸線沿いをバスで移動していたときに見えた景色は一面平らな土が盛られた景色だった。いまだに建物などはなく工事が行われていた。さらには、陸前高田駅はまだ線路が敷かれていないため元々線路があった上をバスが移動して駅として利用しているなど、まだまだ震災の傷跡が残っていると感じた。この早稲田カップに参加して一番自分に必要だ思ったことは感謝だ。いつからか何の不自由もなく生活し、したいサッカーを好きなだけ出来る事を当たり前と感じていたのではないか。被災当初学校のグランドに仮設住宅を建てたため体を動かすことも出来なかった人達がいたという事を肌で感じて、今こうしてサッカーが出来ていることに感謝しようと思った。
子供達が一生懸命プレーする姿を見ることや一緒にボールを蹴ったことは、とても楽しく今の自分が知らなかった事を多く学ばせてもらえた。微力でも力になれたのではないかと思った。

 

2年 小山 修世

昨年もここで綴らせて頂きましたが、東日本大震災当時、まだ小学生だった私はテレビで流れる被災地の状況をただ呆然と観ることしかできませんでした。津波に飲み込まれ荒れ果てた街の姿、避難所生活を余儀なくされる人々。震災から数ヶ月後、なにかできることはないかと物品を送ったり、募金をしたりという活動はしましたが、実際に足を運んだわけではなかったので復興支援に携われたという感覚はあまりありませんでした。
そしてあれから7年の月日が経ち、大学生になった私は実際に陸前高田に赴き、現地の子供達とサッカーを通して繋がるという機会があることを知った時、こんなチャンスはまたとないとすぐに参加を志望しました。そして子供達を笑顔にすべく陸前高田に向かった私でしたが、もう既にそこは笑顔で溢れていました。少しずつ上を向いて逞しく前進している姿に心を打たれました。
最終日、大会を無事終えた子供達が私の元に駆け寄り楽しかったと言ってくれました。この言葉が聞けるなら、少しでも笑顔になってくれるなら来年も再来年も必ずまた会いに行こうと思います。また会おうサンアルタスFC、僕の名前を忘れないでね!

※まだ他にも参加メンバーの感想文が残っていますので、後日アップいたします。そちらも併せてご覧ください。