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3年生の想い〜臼倉宏〜

 

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「クソ食らえ」
私がここの扉を叩いた頃、よく口にしていた言葉です。

 

私は中高6年間を、都内の私立進学校で過ごしました。文武両道を体現し、高校サッカー選手権の全国大会を全力で目指す。私たちはチームメイト互いをリスペクトしていました。
「サッカーと勉強、両方本気で頑張っている俺らが、サッカーしかやってない連中に負ける訳にはいかない」
高校時代の監督である恩師の言葉です。この確固たる価値観と誇りを握りしめ、私はこの『ア式』の扉を叩きました。

私はこの組織に馴染めませんでした。というより、コミュニケーションをとることを自ら遮断しました。
自己矛盾に苛まれました。ここは私の居場所じゃないと感じました。辞めよう、そう思いました。
そして、辞める旨を監督とコーチに伝えました。監督とコーチは、じっくり考えてから決断する猶予を与えて下さいました。
そして私はこの組織を離れました。

これが私の最初の、東伏見の冬です。

 

ア式を離れてから、できるだけ多くの仲間たちに会いに行き、できるだけ様々な話をしました。
「お前が早稲田で活躍する姿観たい」
誰かが吹き込んで、口裏合わせてるんじゃないかと疑うくらいに皆が私に期待してくれていました。羞恥心とプライドを捨て、突き返されても、何度でも頭を下げて、ここに戻れるように努めようと決めました。

そして私は再び、『ア式』の扉を叩きました。

 

私は、朗らかで優しい仕事熱心な、偉大な父と、人前に出るのが苦手な、温かく感性豊かな母の間、東京の下町に生まれました。
私は人十倍、両親に迷惑をかける人生を歩んできました。中学生時代を例えるなら、私は『サナギ』でした。硬い殻の中でドロドロと、自分の人格を形成しました。父親と背丈が並び、彼を「親父」と呼ぶようになった頃ぐらいだったと思います。両親に対する思いは、自分の中でゆっくりと羽化しました。

私は知っています。私がサッカーをしている姿を観るのが、両親の楽しみであることを。

そして同時に、いま、公式戦のピッチに立てずにもがいている私を気遣い、楽しみを我慢して何も言わず遠くから見守ってくれている事も、私は知っています。

 

早稲田大学ア式蹴球部は、私にたくさんの景色を観せてくれました。
陸前高田へ赴き、いつかは自分たちのようになりたいと、目を輝かやかせる子供たちに出会えた復興支援ボランティアの早稲田カップ。歴史ある早慶定期戦の華々しい舞台。プロになるという高い志を持ったア式の仲間たちとの日々の鍛錬。
2年時には、主力として戦ったIリーグの二部降格。そして、19年ぶりの関東リーグの優勝。
3年時は、アミノバイタルカップ準決勝での初のベンチ入り。そして、19年ぶりの関東リーグ二部降格。

 

この日記にはあえて、この組織がどうとか、来年度を二部のステージで戦うことになったこのチームへの想いや、『ア式』の最上級生としての自覚や決意などは書きません。

そんなものは言葉に出さなくて良いのです。

そんなものはグラウンドで表現すれば良いのです。
私は、私のもつ “想い” 、ただそれだけをここに記します。

 

「ここでサッカーをやる意味は、自分自身の為だけのモノではない」
『ア式』への入部が決まった時、私が全部員の前で発した言葉です。

私の昔の仲間たちは、医者を目指し、開発者を目指し、サッカーではない『文』のフィールドでいまも本気で戦っています。
中には不慮の事故で、もうこの世にはいない仲間もいます。
『武』の道を選んだ私は彼らの為に、ここで、自分たちの歩んできた道を証明しなくてはならないのです。

そして、
恥ずかしいくらいに好き勝手に生き散らし、数え切れない程母親を悲しませた私は、立派な男に成長し、名門早稲田を背負って戦う背中を両親に観せなくてはならないのです。

 

これが、私の想いです。

 

しかし私はまだ、何もできていません。

東伏見の四季は明瞭で、そして移り変わりが驚くほど早いです。
ゴール裏の桜の開花に浸っていると、すぐに夏がやってきて、気付いたら長袖のユニフォームに袖を通す季節になります。
東伏見は冬から始まります。4回目の冬が来ました。私のア式ライフも、最後の一周に入ります。

いつか過去を振り返る年齢になった時、ここでの美しく色濃い経験が私の脳裏のスクリーンに、鮮やかに映し出されるでしょう。

いつか私が家族を持った時、ここでの思い出を懐かしい目で語る日がくるでしょう。

いつか私たちが杖をついて歩くようになる時、ここで凌ぎを削った毎日の話を肴に、ここで汗を流しあった同期たちと酒を飲み交わす日がくるでしょう。

今や私は、同期の仲間が大好きです。

この仲間たちと過ごす最後の一年は、どんな景色になるでしょうか。

私にとってここからの一年間は、きっと、フットボールプレイヤーとしての最後の一年になるでしょう。

 

私にとってサッカーは、火でした。

何度もサッカーを辞める機会はありました。しかし、サッカーに魅了された瞬間に灯ったこの私の中の小さな火は、16年間消えることはありませんでした。何度も何度も消えかけました。しかしその度に何度も何度も、たくさんの人の想いによって煽られ、消えることなく燃え続けたのです。

最後になって気が付きました。私の中にあるこの火は、ひどく屈強なものだったのです。
最後になって気が付きました。この火は、たくさんの人々によって煽られていたのです。

最後になって気が付きました。私はサッカーが大好きだったのです。

私の中の火は、いま、人生で一番大きな炎になっています。

火を自ら消すその瞬間まで、私は大きく大きく燃え続けます。

この“想い” を糧に、大きく大きく燃えあがります。