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「期待」2年・清水駿

 

🌟清水駿(シミズ ハヤト)
⚽️高槻市立芝谷中学校 → 京都橘高等学校

 


 

 

「サッカーはもう辞めよう。」

 

私は進路を選択する際、そう思っていました。自分はこれまでよく頑張ってきた。やってきた。そう言った感覚があの時期の、私の心の片隅にはあり、最後のサッカー人生全て出し切ろう。そう考えていました。そうして迎えた高校最後の冬。雲ひとつない晴天の大晦日、市立船橋高校に負け私のサッカー人生は終わりました。いや、終わったはずでした。

しかし、仲間たちに挨拶をしたとき、スタンドに目を向けると彼らは泣いていました。彼らは最後の冬に選手権メンバーから外れ応援することに全てを捧げてくれていました。悔しいと言う思いがあったのにも関わらず。彼らは泣いていました。その涙を見て私は、このまま終わっていいのか、という葛藤がこみ上げて来たのです。

そして出した結論は、
「絶対に終わらせてはいけない。」
というものでした。結果に応えることのできなかった私が易々とやめていいわけが無い。そして必ず私の輝く姿を見せ期待に応えなければいけない。そう思いサッカーを続けることを決断しました。

東京へ出発する時、多くの仲間たちが見送りに来てくれました。「がんばれよ」決して長くはない、それでも想いの詰まった言葉を胸に旅立ちました。

 

 

しかし、現実はそう簡単にはいかないのが人生というものです。最初の頃はAチームにいたものの、夏からはBチームでサッカーをしていました。仲間たちの中には、大学で活躍するもの、プロで活躍するもの、サッカーは辞めたが新たなステージで挑戦しているものなど、皆輝いていました。それなのに私は一体何をしているのだろう、全く期待に応えられていないじゃないかという、ひどい劣等感に襲われました。

仲間からの期待というものは時として、うざったく、邪魔で、疎ましい存在です。ダメな時も期待に応えなければという思いに駆られ気持ちが空回りしてしまい、何もかもうまくいかない。そういう負のスパイラルに陥ったりしてしまいます。
辞めたくても辞められない。こんなことなら1人になりたい。大袈裟ですがそう思うこともありました。

それでも仲間からの期待というものは、私の心の支えであり、希望であり、原動力です。仲間たちが頑張っているから、私も負けていられない、頑張ろうという気持ちに火を灯してくれます。彼らの存在なくして今の私はないのです。私にとって彼らはかけがえのない存在なのです。この期待に応えることができるのは私しかいません。私が辞めてしまうとそれは裏切り以外の何者でもありません。

 

 

私は、辛くなった時、うまくいかない時、1つの写真を見ます。それは、高校時代に苦しみ、もがき、ぶつかり合い、そしてたくさんの重圧を跳ねのけ、ようやく掴み取った選手権京都予選5連覇したときの写真です。この写真を見ると私は初心にかえることができます。

苦しいことや辛いことが人生の中で必ずあることは知っています。しかしそれを経験したものにしか得られない何かがあることも知っています。だから私は突き進むのです。仲間たちと一緒ならばどんなことでも乗り越えられるということも知っているから。
私にはありがたいことに大学で新たな仲間に出会いました。彼らと共にサッカーができることに幸せを感じます。彼らもまた私にとってかけがえのない存在です。この新たな仲間たちとともにどんな高い壁も乗り越えていきます。

大学4年間は長いようで短いです。気がつくとすぐに4年が経ってしまいます。しかし私は幸いまだ2年生で、あと2年半あります。諦めるには早すぎるでしょう。いつになるかはわかりません。それでも気負いすぎず自分のペースで進み続けようと思います。日々もがき続けようと思います。

仲間たちの 期待 に応えるために。