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「心身一体」2年・金田佑耶

 

🌟金田佑耶(カネダ ユウヤ)
⚽️FC東京U-15深川 → 早稲田実業学校高等部

 


 

 

「優しさ」それは私にとっての最大のストロングポイントでもあり、最大のウィークポイント。なぜこんなことを言ったのかと言うと今までサッカー人生を送っていた中で私が一番言われてきたことであり、一番向き合ってきたことだから。

 

人に優しくすることは、心も豊かになり自然とお互いが気持ち良くなるものなのは誰もが感じ、必ずその瞬間を一度は体験したことがあると思います。私は昔から、人のために何かをして自分よりも誰かのために何かをすることの方が多かった。なので、よく「優しい」と言われるしそこが自分の良さであると思っています。しかしながら、時にその優しさは凶器へと変わり他人を苦しめ、自分をも苦しめてしまいます。そう感じたのも、今まで生きてきた中で “その優しさは、優しさではないむしろお互い苦しいだけ。” そう言われることが多々あったからです。はっきり言って最初は何を言っているのか分からなかった。自分の人格すらも否定されているとさえ感じたこともあります。
これはサッカーをする上でも同じで、仲間に合わせようとして自分を出そうとしない。かといって自分から何かをするわけでもなくだだひたすらこなすだけ。そんな中私は、自分を出さず人を見て人に合わせているだけで、実際に自分は何もやっていないことに気付きました。優しさの意味を履き違えていたのです。むしろ他人にベクトルが向きすぎて自分とは向き合えていない、自分が何をしたいのかも分からないそんな状態になっていたのかもしれません。
全体を見てカバーができる、それはなかなか身につけられる能力ではないですが、使い方を間違えば自分の存在がどんどん薄くなりいつしか、そのチームにおけるピースの一部になってしまいます。そこには言うまでもなく成長はありません。
何を言いたいのかというと、優しすぎてもいけないと言うわけではなく
「そこに自分自身の存在を主張する何かがあるのかないのか」
それが、私が思う優しさの尺度なのではないかと考えています。
気遣えるのは良い、でもそこに自分の存在を証明するものはあるのか。
チームのために働くことは良い、でもそこに自分は徹しすぎて己が消えてないだろうか。

 

これらの意味を真の意味で理解するにはおそらく長い年月がかかる人もいれば、勝手に自分の中で解決できてしまう、また気に止める前にその問題に引っかからないなど様々な人が存在するかと思います。私は、前述にもあるようにこれまで生きてきた20年のうち物心がついたときからその本意を理解するのに苦しみ今もなおその壁にぶち当たることがあります。他者貢献をする上で大切なことが、アドラー心理学では二つあるとされています。
・一つは、自己犠牲にならない。
・もう一つは、承認欲求を満たそうとしない。
承認欲求とは、ある特定の事柄を正当であるということを認めてもらいたい。そういう欲求をさします。全ての人に自分の思うことを全て理解してもらえること。それは確かにベストですが、現実問題そう上手くはいかない。それを分かっていても求めてしまうのが人間です。でも誰のために生きているのか、誰のためにサッカーをしているのかその答えは全て自分です。自己主体性の中に見えた他者配慮こそが本当の意味での他者貢献なのではないか。そう感じるようになってきました。人間は元来、他者を喜ばすこと幸福を感じていく生き物だそうです。だからこそ自分の欲望の矛先がときに分からなくなってしまうのかもしれません。

 

人には人生におけるターニングポイントが必ずあると思っています。それは、サッカーにおいても同じで試合に例えるならば、一つのシュート、一つのパス、一つの守備どれをとってもその試合の勝敗を分ける大事なターニングポイントです。たった一度しかないかもしれないチャンスをどれだけいつも通りに決め切ることができるか。そのメンタリティ、マインドは普段からチャレンジし続けなければ得られることはできず、そこに他者は関与できない。今までは他者のために自分を押し殺してまでやってきた、でもそれでは上にはいけない。自分と向き合い続けるメンタルが必然的に要求されます。現在チームにおいても、レゾンデートルという言葉を使って己の存在意義を問われます。そこでいつも私は、自分の存在意義は何であるのか何をしなければいけないのか、自問自答を繰り返していったなかで出た答えがどれだけ挑戦をし続けられるか、そのメンタルがあるのかということです。自分を見失っていては誰に何を言っても耳障りなだけでありがた迷惑になってしまう。ならばまずは、自分と向き合い続けてから次に他者と向き合うべきです。そうすることで自然と自分自身のレゾンデートルを表現できると思っています。

 

私は優しさという、あまり人が向き合わないことと自分なりに愚直に向き合ってきたことで他者とは違う強さを磨いてきました。
十人十色という言葉があるように人によっては、コミュニケーションが得意な人。愚直に仕事をこなせる人。みんなの前に立って引っ張っていくのが得意な人。などのように唯一無二の個性があるはずです。私にしかできない個性を出すことで初めて評価をされ、価値のある他者貢献へと変わっていくのだと思います。

 

最後までお読み頂き有難うございます。
自分本意な文章になってしまって面白さに欠けてしまい申し訳ありません。
なかなか自分の思いのうちを素直に表現することはあまり得意ではなく、上手くまとまりませんでしたがこの日記を見たことをきっかけに何かを感じてくださる方がいれば幸いです。