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「パスポート」4年・岡田優希

 

🌟岡田優希(オカダ ユウキ)
⚽️川崎フロンターレU-15 → 川崎フロンターレU-18

 


 

 

 

私はまだ練習生の頃、一回だけ練習にパスポートを持って行ったことがあります。

 

 

 

常識的に考えたら、日本国内でパスポートは必要ありません。
しかし、その常識も考えられなくなるくらい、「早稲田大学ア式蹴球部」に衝撃を受けました。パスポートを持っていかなければならないほど、限界まで追い込まれていました。

 

練習生の頃はほとんど2部練でした。その時はまだ紺碧寮ではなく実家から通っていたので、朝練がある時は4時42分発の電車に乗ります。まだ日の登らないグラウンドに着いて荷物を出すと掃除。アップの時間はほとんどなく、足の指が凍ったままトレーニングに入るのでボールを触っている感覚がありません。朝練が終わるとAチームの練習が始まりそのサポート。水汲みや球出し、声だしをします。Aチームのシュートが下手な先輩はシュートを打つとゴール裏のネットを超すので、隣のホッケー場までボールが行ってしまいます。それを拾いに行きながら、心の中で「この下手くそ!」と思っていました。私がシュートを盛大にふかしてしまうことが少ないのはこの時の経験からかもしれません。
サポートが終わると昼ご飯を食べて、部室の冷たいベンチで少しだけ昼寝をします。その後は同じように荷物を出して掃除をして、練習。それが終わるとまた電車に乗って家に帰り、ご飯を食べてストレッチをしてお風呂に入って寝るだけ。基本的にこの生活が続きます。
このスケジュールをこなすだけでも精一杯でした。
さらには、川崎フロンターレのアカデミーで9年間育った私にとって、ア式のサッカーは異世界に迷い込んだかのような衝撃でした。180度違う価値観やコンセプトに戸惑いました。
パスは足元には来ません。ボールは全部空中にあります。スペースにアバウトなボールが蹴りこまれるのでそこに走りこんで触るか、スローインを受けるか、の二択しかありません。
そしてFWに求められるのは自分を犠牲にする2度追い3度追いのプレッシング。ボールを奪ったと思っても守備で体力を使い切っているため、攻撃する体力も気力もない。
「ここは日本なのか?言葉が通じる外国ではないか?」1試合で10回は思いました。
プロサッカー選手になり世界で活躍するという夢を追いかけていた自分にとって、早稲田のサッカーには夢がない、そもそも競技が違うと感じました。
そんな日々が永遠と続き、心も体も限界に追い込まれた私は、パスポートを持っていくことで「俺は外国に留学に来ている。だから価値観が合わないし、言葉も通じない。」と錯覚させ、周りをシャットアウトし壁を作って自分を守りました。その後、入部するものの、モチベーションなんてものはなく、ただただ自分が壊れないように、無くなってどこかに行ってしまわないようにするだけ。パスポートを何度も見直して、壊れてしまいそうな自分がここには確かに存在することを確かめていました。

 

心の底から楽しいと思えることはなく、毎日不完全燃焼。笑っていても面白くない。早稲田に入学した自分を恨みました。
ストレスからかベットに入っても寝れない。食欲はなく、お腹は減るけど食欲がない。今より10キロ近く痩せていたと思います。

 

 

 

ここには夢がない。
夢を追いかけてきた自分がいない。

 

 

世界は灰色でした。

 

 

 

そんな生活に加え、心が乾ききっているから、サッカー集中できず当然結果も出ません。
1年の頃は関東リーグの前期3節に途中交代で8分出場するのみ。
2年の頃は関東リーグ前期に10試合出たものの、それ以降は出場していません。それどころか、怪我と自分の未熟さによってストレスを抱えプレーに集中することが出来ず、後期の半年間はCチームにいました。この時は本当にチームに迷惑をかけました。
3年の前期はスタメンに定着することが出来ず、途中出場ばかり。ゴールは決めていたものの、出場しない試合もありました。プロサッカー選手になりたいのに、このままじゃなれない。
焦りと不安で苦しい日々でした。

 

 

しかし、私の価値観が大きく変わる出来事がありました。

 

それはなんでもない瞬間、3年での後期関東リーグ戦の最中、第16節の日本大学戦に向けた毎日のルーティーンである練習後のケアの時間でした。
夕食を摂って少し休むと、マットを広げてその日疲労の溜まった体をケアしています。指圧や棒でほぐした後、全身のストレッチを行います。1~2時間かかります。

 

誰もいない部屋で一人でケアをしていると自分との対話が始まります。
「あの練習は面白くない。」
「これは意味がないし、こんなのサッカーじゃない。」
「どうしてこうなんだろう。わかってくれないんだろう。」
ネガティブな思考が渦巻き、頭が痛くなります。

 

そんな時、今までは絶対に聞かなかった、
「お前は成功したいのか?それとも、自分のことを誰も理解してくれないって嘆いて、自分の殻に閉じこもって、だけど自分は本当はやれるって自己満足していれば満足なのか?」
と聞く自分がいました。

 

 

そこで全て気づいたのです。
早稲田だから、周りが理解してくれないから、スタイルが違うから、自分の良さに気付いてくれる人がいないから…

 

 

これは全て言い訳だと。

 

 

「成功したいのか?」と問えるということは、チャンスだけは自分の手にあるのだと。
毎日サッカーができて、学校で教育も受けれて、雨風しのいで寝れる環境を、家族や友達、監督、コーチ、先生、ほかにもたくさんの人が作ってくれているのだということ。

 

「俺は成功したい。いや、絶対成功する。チャンスは目の前にある。たとえ挫折や悲しみ、絶望の中にいてもそこから立ち上がるかどうかは自分次第なんだ。」
そう思った瞬間から、全身が熱くなるようなエネルギーが湧いてきました。

 

 

世界に色がつきました。

 

 

次の日練習に行くと、あれだけ嫌だった早稲田のサッカーなのに、楽しい。
ゴールを目指せる。ボールが来ないなら自分から呼び込むし、守備で頑張って相手から奪えばいい。味方にとってどこに動いたらパスを出しやすいんだろうか。
勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。
思考、行動、言動、振る舞い、全てが変わりました。

 

それから6試合で6ゴール。
第18節、東海大学戦前のミーティングでは、
「今日はボールが触れなくてもゴールを決める。」と宣言していました。
早稲田ではボールが来ないって嘆いていたのに、ボールが来なくても決めると何気なく言った自分に驚きました。
チームは最終節に国士舘に勝利し、逆転で2部優勝、1部昇格を成し遂げました。

 

シーズンが終わり振り返りをしました。
あれだけ嘆いて面白くないと思っていた早稲田でのサッカーが、「覚悟」を持つだけで、思考とエネルギーが変わり楽しくなる。
ないと思っていた夢はなくなってなんかいなかった。
ということは、たとえどんな環境でも、自分だけの目標を決めて、自分で意味づけをして、自分で解釈をして、自分で行動を起こせる。

 

絶対に「やる。」
「成功したい。」「こうなりたい。」
じゃなくて
「成功する。」「こうなる。」
覚悟をもって取り組めばなんでもできるんだ。
なーんだ、全て自分次第じゃないか。

 

 

そしてそのマインドこそが、どこの文化や国にいっても自分を証明することができる
‘‘パスポート,,
だと気づいたんです。
別に紙切れと写真がなくたって、自分の心の中に常にパスポートはある。
練習生の頃、隠れてパスポートを持って行った自分から、
「本当は心の中にパスポートがあるんだ」
と気づけるくらい3年間で成長しました。

 

 

4年となった今、これまで「主将」を務めています。
キャプテンなんてやったことないし、新チームになってどうなるかも分からない。
不安や焦り、疑念だらけの中でスタートしました。
だけど大丈夫だって思ってました。

 

主将就任挨拶でチームに伝えたのは一つだけ。

 

 

「覚悟を持て。」

 

 

勝ちたい、優勝したいじゃない。
「勝つ。」「優勝する。」
なぜなら、覚悟を決めた瞬間に、世界に色がつき、全てが反転するから。
全てがひっくり返り、全てが一つの道になるから。

 

その結果、関東リーグを優勝しました。
長く苦しい闘いでしたが、「優勝する」と決めれば、不可能はないことを証明できました。

 

 

4年間長かった関東リーグも明日、とうとう最終節を迎えます。
その後はインカレ。
早稲田で「覚悟」を示せる日数も減ってきました。

 

だけどもう「岡田優希」はここに存在している。
世界中どこにいってもやれる。
そしてこれからも、どこで何をしたのかをたくさんパスポートに描いていきたい。
もしページがいっぱいになったら、新しく更新して、また冒険に出かけます。