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「道」3年・佐藤優輝

 

🌟佐藤優輝(サトウ ユウキ)
⚽️暁星中学校 → 暁星高等学校

 


 

 

 

2015年11月15日。

これは、早稲田大学ア式蹴球部が19年ぶりに関東リーグ優勝を決めた日だ。

当時高校3年生で早稲田大学への進学が決まっていた私は、なんとなくこの試合を観に行った。

高校サッカーを不完全燃焼で終え、サッカーへの未練があった私は、この試合の早稲田の戦いぶりを生で観て、心を動かされた。

 

 

「ここでサッカーがしたい。この舞台に立ちたい。」

 

 

純粋にそう思った。

 

 

この感情は、私が小学生の時に、聖地・国立競技場で、全国大会に出場した暁星高校の試合を観に行き、感じたものと全く同じだった。

その時は、中学受験を決意した。

 

今回は、大学サッカーへの挑戦を決意した。

 

私は中高6年間を進学校と呼ばれる暁星学園で過ごした。

文武両道を掲げ、尊敬できる仲間と切磋琢磨しながら、本気で全国大会を目指した。

 

 

「勉強もサッカーも両方本気でやってる俺たちが、サッカーしかやってないやつらに負けるわけにはいかない。」

 

 

よく監督が口にしていた言葉だ。
高校時代はそれをプライドにサッカーをしていた。

しかし、いざア式蹴球部の門を叩くと、周りとの想像以上の実力の差に、そのプライドは木っ端微塵に崩れ去った。

これまでサッカーに限らず、少し努力すれば多少の壁は乗り越えてこれた。
ア式のレベルの高さは知っていたものの、心の中ではどうにかなるだろうと思っていた。

 

しかし、甘かった。

自分の強みはなんなのか、存在意義はなんなのか、胸を張って言えるものが無かった。

そして、自分を表現することを恐れ、その場の雰囲気に合った顔を作り、あまり目立たぬよう自分を作った。

チームに貢献できていないと分かっていても、どう貢献すればいいのか分からない。
ただ悶々と毎日を過ごした。

そんな毎日を過ごし、あっという間に3年生になっていたある日、恩師の言葉をふと思い出した。

 

 

「苦行を修行と思えば、自ずからその道は開ける。」

 

 

今まで過ごしてきた2年間は「苦行」だった。

違う。

「修行」と捉えることができていなかったのだ。

これでは「道」が開けるわけがない。
このまま暗いトンネルを通ったままサッカー人生を終えることになる。

このままでは終われないと思い、私の遅すぎる「修行」が始まった。

関東リーグでは同期が躍動し、チームが好調の波に乗ってる傍ら、私はBチーム。

何度も投げやりになりそうになった。

その度にあの言葉を思い出し、「修行」を重ねていった。

 

そんなある日、暗いトンネルから光が見える出来事があった。

幸運も重なり、アミノバイタルカップの順位決定戦に出場する機会を掴んだ。

これまで一度も公式戦のメンバーに入ったことがなく、普段は試合に出ている仲間をスタンドから応援する立場の私が応援されてる。

幸せを感じつつも、地に足が付かない感覚。

仲間からの声援が自分のエネルギーに変わるのを実感した。

 

迎えた後半12分。

仲間が打ったシュートがポストに当たり、自分の目の前にこぼれてきた。

無心で振り抜いたシュートは、芯を捉えることはできず、変なバウンドをしながら、相手のシュートブロックをかすめ、キーパーの足を潜り抜け、ゴールに吸い込まれていった。

 

入った。

 

そう頭で認識するのに数秒かかった。
そして気づいたらスタンドの仲間たちのもとに走り出していた。

長いトンネルから「道」を少しだけ切り開けた瞬間だった。

 

 

私はサッカーを4歳から始め、虜となり、これまでサッカーと共に歩んできた。

野球、水泳、陸上、ピアノ、そろばん、書道と数々の習い事をさせてもらってきたが、どれもサッカーには敵わなかった。

中学受験を決意し、嫌いな勉強を頑張ったのもサッカーのためだった。

 

 

私にとってサッカーは「道」だった。

上り坂も下り坂もあった。
いばらの道も枝分かれの道もあった。

先が見えなかったり、遠回りもしたけれど、どんな道も進んできた。

そんな道のりもあと1年でゴールを迎える。

目標は、関東リーグに出場すること、その姿を両親に見せることだ。

両親は、私が小学生の頃からずっと、週末の試合には毎回のように駆けつけ、応援してくれた。
大学生になってからは、私が出ていない関東リーグの試合も頻繁に応援しに来てくれている。

私が関東リーグのピッチに立つことを心待ちにしてくれているに違いない。

これまでサッカーを何不自由なく続けさせてくれ、たくさんサポートをしてくれた両親への感謝の気持ちを必ずピッチで表現する。

 

 

この目標を達成する「道」は長く険しいことだろう。
しかし、どんなに先が見えなくても、どんなに険しい道のりでも、「修行」を重ね、「道」を切り開いてみせる。