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30周年企画『マオレス』吉野真央

こんばんは!
本日はこちらの部員が担当します。

こんにちは!
本日、アジョ日記を担当させていただきます3年吉野真央です。拙い文章にはなりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

「命懸けでゴールを守る」
「熱く、冷静なプジョルみたいなDFになる」
「ア女で必要不可なDFの要になってやる」
一年前まで毎日、自分自身に言い聞かせて、目標にしていたことです。
 この目標が一気に変わったのが、去年の夏。
私のこれまでのサッカー人生の一つの大きな出来事です。活動自粛が明け、今年こそはチームの勝利に貢献できるようなDFになると意気込んで、毎日練習を行っていました。

始動して一ヶ月、チームで紅白戦をする時に、様々なポジションで出来る機会があり、みんな普段のポジションとは全く違うポジションで紅白戦がスタート!!私はその時にFWをしました。
私のサッカー人生で中学三年生の時に一年間だけFWはしたことがありましたが、いつもと違う景色にとても変な感じがしましたがとっても楽しかったのを覚えています。 
まあ今日だけだから思いっきりFWを楽しんで、FWの気持ちを理解しよう、受けたい場所、嫌な守備はどんな守備か、DFとしてのスキルアップの為にFWを体験するという感覚でした。

 しかし、次の日の練習、ボードに置かれていた私の名前札はFWのポジションでした。
「えーーどうしよう、なにをすればいいんだ」正直な、私の気持ちです。
一時的なものなのかな?いろいろなポジションをする人はいるけど、DFと兼FWの選手はあまり見た事ないなー、とか考えて名前札がもとのDFのポジションに戻るのを少しだけお祈りしてました(笑)
しかし、来る日も来る日も名前札はFWの位置に置かれ続けました。
「9年間DFをしてきたのに」
「今まで積み重ねてきた経験がー」
「DFでは私はできないのかな、」
「DFをクビになっちゃったのかな、」
たくさんの不安、想定外の出来事、戸惑い、いろいろな感情が湧き出てきました。しかし、ビビリの私は監督に理由を聞くことも出来ずに、「もうFWで頑張るしかないじゃん」「やったろ」「置かれた環境で頑張るしかない」と自分に言い聞かせました。
いざFWをやり始めると、わかんないことだらけで、頭がパンクしてしまう毎日。
どこに受けに行ったほうがいいの?ポジショニングは?駆け引きの仕方は?守備の仕方は?攻撃の連携は?私のFWとしてのプレースタイルは?何を求められているのだろう?
自分はFWとしてチームの為に何ができるのだろう?心も体もヘトヘト。
今までとは全く違う景色、必要な技術、動きも変わってきて、分からないことだらけで全く違うスポーツをしている感覚でした。
当時、FWとしての未来を見据えたときに感じたのは正直、光よりも暗闇。ア女のFWのライバル達は今まで何回もDFとしてやられてきた超人達。ア女のストライカー達ほんとにみんなめちゃくちゃ上手いんですよ(笑)
どうやったら、私がこの人達に勝てるのだろう?
どうやったら、この人達を押しのけてFWとして試合に出て、活躍する?
私がFWとして試合に出ている姿は頭の中でも思い浮かぶことができなかったです。
とにかく、なりたて当時はいろんなことを考えてしまい寝られない事もありました(笑)

こんな自分がめちゃくちゃ嫌で、弱い弱い自分と毎日戦い続けました。
まだ、FWになる覚悟を決めていなかったんですね。
それでも、時間は過ぎていきます。
そして、ある日突然スッーと心が晴れたような気がしました。
多分あれが、FWとしてエースストライカーになる覚悟と責任、決意をした日です。
マイナスな感情はスッーと消え、「やるしかない。ここで輝いてやる。とにかく、たくさん吸収して、出遅れた分を取り返す。誰にも負けない。絶対的な存在になる。」
やる気と自信に満ち溢れました。考えることをやめたんだと思います。ただただ自分自身にベクトルを向け、「変えられるものと変えられないもの」を判断して変えられないものは考えず、変えられるものを変える努力をする。そうすれば必ず道は開ける。そう信じました。
もちろん、簡単にはいきません。うまくいかないことも多いです。でもだからこそ、成長を感じた瞬間がとっても嬉しかったです。
そして、何よりも点を決める喜びは私の原動力にもなりました。

FWとしてプレーしていくうちに徐々に感覚を掴んでいき、試合にも少しずつですが、出始めた矢先。
練習中、競り合った後の着地に失敗。
足首の靭帯を部分断裂してしまい、今シーズンはもうサッカーができないという現実を受け入れなくてはいけませんでした。
FWを初めて3ヶ月、なんとなくだけど掴み始めていたからこそ、より悔しさも感じました。ただでさえ遅めスタートの私がライバルに遅れをとってしまっているような気もすることも多かったです。
しかし、FWにコンバートした時のように考え込んでしまう事はありませんでした。もちろん、辛い瞬間や嫌になる瞬間、苦しい瞬間もありました。
でも、どんな時も、「変えられない物を嘆くより、変えられる物を変える努力をしよう」と決め、5ヶ月間のリハビリ生活を過ごしました。この大学二年生の1年間で私は大きく成長できたなと今ではとても感じます。

そして、ついに今シーズンが始動し、始動してから1ヶ月私も復帰を果たしました。
私の物語はこれからです。このような経験を得て私がこれからどうなっていくかは全てこれからの自分次第。
皆さん、見ていて下さい、ア女の絶対的ストライカーになって見せます。
日本のマオレスになってみせます。
(私はスアレス選手が憧れなので笑)

拙い文章ではありましたが、最後までお付き合いいただき有り難うございました。

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以上です。
本日もご覧いただきありがとうございます。
明日もお楽しみに。