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30周年企画《優勝代主将対談》

ア女30周年記念企画、今回は『優勝代主将対談』です!
早稲田大学ア式蹴球部女子は、30年の歴史の中で全日本大学女子サッカー選手権大会(通称:インカレ)を“6度”優勝しています。
その年を率いた元主将の皆様による、インタビュー形式の特別対談を行いました。

近藤絵梨佳さん(H17年度卒)・小山季絵さん(H22年度卒)・松川智さん(H27年度卒)・山田紅葉さん(H28年度卒)・松原有沙さん(H29年度卒)に今回ご参加頂き、現監督の福田あや(H19年度卒)を交え、貴重なお話を沢山聞かせて頂きました!

※大脇友里佳さん(H21年度卒)は、都合により対談には不参加。別途質問にご回答頂きました、ありがとうございます。
※こちらの対談はオンラインで行われたものです。

――今日この機会をとても楽しみにしていました、よろしくお願いします!皆さんの中には在籍期間が被っていらっしゃる方もいると思いますが、交流などはありますか?

松川 交流…。たま~に(笑)。

山田 いや、(松川)智さんがちょっと忙しすぎて構ってくれないって感じですね。

松川 (笑)。ちゃうちゃう、忙しくはないんだけど(笑)。

山田 こっちは会いたいのに、「いや、ちょっと無理やわ~」って言って断られます(笑)。

松川 たまにね、帰ってきた時ちょっと忙しくて(笑)。

山田 そう、拒絶される。くらいですかね(笑)。

松川 たまにね。たまにそういう事もある(笑)

――(福田)あやさんは、小山さんと被っていますかね。

福田 そう。(近藤)絵梨佳さんの代が4年生の時に私が2年生で。(大脇)友里佳は私が4年の時の2年。(小山)季絵の代が1年生の時の4年生だから、季絵の所までは現役で重なってて。(小山)季絵はプライベートでも相当仲がいいので。

小山 (首を左右に振る)

福田 なんで首振るの!

一同 (笑)。

福田 首振られたわ(笑)。あと松(松原)は、被ってないけどノジマで一緒だったから…。あれ、一緒?

松原 一緒じゃないです、入れ替わりです(笑)。

福田 あ、入れ替わりか!

――え、入れ替わりなんですか?すごく一緒にいるイメージがあったんですけど。

福田 入れ替わりだけど、なぜか懐かれてる(笑)。

一同 (笑)。

福田 うそうそ(笑)。仲良くさせてもらってます(笑)。

――今日は皆さんと楽しくお話出来たらと思います!では早速ですが、(インカレ)優勝代の皆様に集まって頂いたので。率直になぜ日本一になれたと思いますか?

松原 2、3年の時に(インカレ)優勝を経験していたので、3連覇へのプレッシャーがあったんですけど。関カレ(関東大学女子サッカーリーグ)は優勝できなくて、それがすごく悔しくて、もう一回チームで頑張ろう!みたいな気持ちに切り替わりました。何が良かったかっていうと勝ちたい!っていう気持ちがすごく伝わった代なのかなと思います。

山田 自分達はもう、端的に。下の代が強かったっていう(笑)。

一同 (笑)。

山田 いや、本当に(笑)。助けられた代なので、ただただ下の代が強かったから勝てたっていう…。まあ、結果的に次の年も勝っているという事はもうそういう事ですね、はい(笑)。

松川 私達の代はですね…。何が良かったかって言ったら、下の代に助けられたっていうのもあるし、皆結構仲が良かったかなっていうのが結構印象的な所で。4年生の時とかも、結構心がけて下の子達とも喋るようにしたし。今までそんなに下の子と関わりが無かった子も割と4年になったら心がけて下の子達に気を配ってくれたかなって思います。

小山 私の代…。コーチをしてくれていた(福田)あやちゃんが喋った方が絶対いいんですけど(笑)。優勝出来た理由として、皆さんが仰っていた様に下が強かったこともありますが、前年に(インカレ)優勝を経験したメンバーが半数を超えて残っていたのは大きかったかなと思います。ただ、当時はインカレも含めどの試合で勝っても当たり前だと思われてて1年を通してすごく苦しかったことを覚えています。私の代は、1 年生の時は確か PK で日体大に負けて3位で、2年生の時にまた決勝で日体大に敗れて 2 位という結果で本当に悔しくて。その悔しい思いが原動力でもあったし、あとは連覇にせっかくチャレンジできるんだから絶対に自分達の代で途切れさせないように、後輩たちに残せるものは残したいっていう強い想いはありましたね。個性が本当に、本当に強すぎる4つの代だったんですけど、「連覇をする」という思いは皆一緒だったので、あれだけ個性が強くても纏まれてたのかなって思っています。

近藤 私が1年生の時の4年生の時から絶対日本一になるっていうのを上の人達がずっと言ってて。でも、その時まだ大学リーグ2部だったんですよ、所属が。だけど日本一を目標に掲げて、その為にこうするんだ、ああするんだっていう事を上の人達がずっと積み上げてくれたからだと思います。それに加えて、巡り合わせで下の代もそれに一致団結して目標に向かってやれたからかなと。実は、私達の代は4年生の時最終的に2人だったんですよ。本当はもっと沢山いたんですけど。4年生が2人だったっていうのもあって、下の代は頼るんじゃなくて支えなきゃいけないって思ってくれてたのかな…?と感じてて。それが良い方に向いて、結果優勝できたのかなと思っています。

大脇 色々な要因があったと思いますが、当時を思い出すとそれぞれの学年が自分達の立場・役割をしっかり理解して取り組めていたように思います。当時の3年生(小山季絵の代)は人を思いやれる力があり、かなり頼りになる代でした。アンダーカテゴリー日本代表経験者も数人おり、サッカーの実力も3年生はあったのですが、人間力も高かったですね。2年生は身体能力が高いものの、まだ幼いところもあったのですが(笑)、3年生が良いお手本を示していてくれたように思えます。そして、1年生はとにかくサッカーが好きで仲も良く、良い意味で無邪気にやってくれたと思います。

――優勝した当時の練習の雰囲気などはいかがでしたか?

近藤 いやあ、どうだったっけな~…。常に言っていた記憶があるのは、1日24時間ある内の2時間のトレーニング時間を集中してやるっていう意識づけはずっと言ってて。そこを無駄にしないように取り組もうね、みたいな事はずっと言ってた気がします。私嘘ついてるかな、(福田)あや? 大丈夫?(笑)

福田 (笑)。いやあ、その言葉は毎日言ってましたね。(近藤)絵梨佳さんから時間の大切さとかは結構言われた記憶あります。

近藤 そうね、4年の時はよく言ってた。

福田 あとは毎日の集合の時に、「ア女は」とか「早稲田は」とか「優勝は」とかっていうのを、もう毎日言ってた気がする。もう(近藤)絵梨佳さん、小姑みたいだった(笑)。

一同 (笑)。

福田 ってくらい、本当にピッチ内外のそういう意識づけみたいなのを毎日言ってた。というか刷り込まれてたっていう感じはすごく覚えてますね。

近藤 うん、雰囲気というか…。今日は何をする為に練習をして、自分自身何を課題としてやってんの?っていう所を言ってた気がする。何をクリアしようと思ってんの?とか。何が課題でどう取り組もうとしてんのか。自分自身の目標は何で、チームの目標は何っていうのを確認しながらやってたかな、と。

小山 この後すごく喋りにくいです。

一同 (笑)。

小山 (福田)あやちゃん、やばいよ(笑)。どうしよ。

一同 (笑)。

福田 (小山)季絵なりのキャプテンシーを話して頂ければ(笑)。

小山 やばいじゃん、それ(笑)。

――季絵さん達の代の雰囲気とかでもいいので…。

小山 うちの代の雰囲気はね、ちょっとね、お話出来る感じではないな(笑)。

一同 爆笑

小山 そんな言うタイプではなかったので。集合の時はそれこそ、欠席する人の連絡とか(笑)。 明日の連絡とか(笑)。それ位のゆるっとした集合だったんですけど。あえて言うなら、個のレベルが高かったのもあって練習一つ一つのパスの質だったりとか、シュートの質だったりとかは言わなくても個々の意識は高かった様な気はしています。だから、 私自身が自分の事で精一杯だったというのもあるんですけど、何かを言うよりは自分が意識高く練習に取り組むことにフォーカスする方が当時の雰囲気としては良いのかなと思っていました。幸いにも、試合に出れなかった人達も出れないから手を抜くという事は一切無く、常に自分達に出来る事はないかっていうので、意識高く日頃の練習も取り組んでくれていましたし、初心者で入られる人達もいるじゃないですか?そういう人達も積極的に、それこそ代表に選ばれているような選手達に「ここはどうしたらいいんですか?」 とか「試合に出る為にはどこをどう改善すればいいですか?」とか積極的に聞きに行っていました。だから、試合に出ている、出ていない関係なく皆が同じ目標に向かって意識高く取り組んでいた印象はあります。ただ、こうは言ってもほんとに爆裂的に個性が強すぎて、私たちの代はほとんど消されてたんで(笑)

一同 (笑)。

福田 それはない、それはない。(笑)

小山 纏めていたとかはないです、申し訳ないですけど。

福田 ちょっとフォローしておくと。(小山)季絵は、多くを語るタイプではないけれど本当にピッチ上で絶大な、皆から頼られるパフォーマンスをするっていう。もうそれで示していたっていうのはすごくある。絶対に点を取るとか。

小山 (手を合わせて感謝のポーズ)

福田 でもそれが本当に大きかったと思う。サッカーがうまい子達が下にいて、キャラクターも濃い子達が下にいたから、やっぱサッカー上手いやつの言う事しか聞かねえっていうのは多分あったと思う、纏めるにあたって。そこは多分言わないけど自分なりに精一杯やっていたんじゃないかなって思う。私コーチでいたから、その時。

小山 ありがとうございます。今度ごはん奢ります。

一同 爆笑

松川 私の代も引っ張るって感じではなくて。さっき(小山)季絵さんも言ってたみたいにゆる~くみたいな感じの学年で。だから、キャプテンをやっていたからと言って、何かすごい意識でってタイプでもなかったんですけど、でも割とグラウンドマネージャー(役職名)…。多分今もあると思うんですけど、グラマネの3人が練習の時すごい引っ張ってくれて。練習前に(グラマネが)メニューを決めて、それを監督に伝える時に割とすごい話し込んで、その目的や意図を沢山話し合ってて。私は全然その時関わってなかったんですけど、そのグラウンドマネージャーの3人が練習前に一つ一つ目的とかを言ってくれたし。だから私が練習の雰囲気を作り上げていたというよりかは、割とグラウンドマネージャーが作ってくれてたかなっていう記憶はあります。

――グラマネとかって福さん(福田)の代からあったんですか?

福田 えっとね。私の代でできたのかな?それか私の一個前かな?

――それは、何故できた覚えがあるとかありますか?

福田 え~…なんだったかな?(近藤)絵梨佳さん達の代の時はなかったですよね?

近藤 なかった。何それ(笑)。

一同 (笑)。

――分析とかスカウティングとか今ある役職とかは既にありましたか?

福田 あった。あ、スカウティングはなかった。分析はあった。

松川 スカウティングはこの代でできました!

福田 へえ~、そうなんだ!

松川 確かそうです。それか一個上か、それくらいです。

福田 え、それはなんで作ったの?

松川 それは確か…。分析するのにスカウティングをしないのは何故かっていう話になって。で、そこからスカウティングも入れるかってなった記憶があるんですけど、あんまりはっきりは覚えてないですね。

福田 でもそうだよね、理屈としては。

松川 うん、はい。

福田 うちも…。あ、そうだ!私の代は1年、2年、3年で全部監督が変わったのね。3年生の時に長岡さんっていう方になって。で、長岡さんは見守るやり方の監督だったの。

一同 (頷く)

福田 で、多分このスタイルだったら自分らで何とかしないといかんよねっていう(笑)。それで、確か4年目の時にできたんだと思う。

――すごい、貴重な話。それがまだ今も全部続いていますからね、すごいです。
話が逸れてしまったんですけど、次山田さんお願いします。

山田 自分が1年の時はまだ長岡監督で、ほんとグラマネが提示したメニューに一切何も言わずに、「うん、うん」みたいな感じで(笑)

一同 (笑)

山田 もう全部通る、みたいな。ただ、試合前とかには(モノマネしながら)「ズボンの中にユニフォーム入れなきゃだめだよ」みたいな事は言う(笑)

一同 爆笑

山田 練習メニューに関しては一切ほとんど言わないのが長岡監督だったけど、自分が3年生の時に福島監督になって。それからは、グラウンドマネージャーが出したメニューにああじゃないか、こうじゃないかって指摘をもらってて。(松川)智さん達の代とかは練習前にグラウンドマネージャーの3人が泣いてグラウンドに来るみたいな。どうしたの?と聞いたら、「メニューが全部撤回された…」みたいな事が頻発し始めて。なので、自分達の代の時には練習当日にメニューが撤回されるのを避ける為に、一週間前からメニューを提示して自分達も安心して練習に集中できるようにしようと。だけど、いざ当日これでいきますねと確認しに行ったら、当日キャンセルされるっていうのが連発して。結構監督とは、もめましたね(笑)。でもそれ位やっぱり監督もメニューに対して思い入れがあったし、選手も選手でこれがしたいっていう思いがあったりとか。でも、思い入れがあるのと練習でうまくそれが表現できるのかっていうのは、やっぱり別で。特に自分達の代は一個上とか一個下みたいにプレーで表現するっていうのはあまりできない。最終的に自分達の代でインカレのベンチに入ったのは自分だけで、あとは全員スタンドだったので。それ位下の代がぐいぐい来てたので、逆に言ったらへたくそな人達にメニューたてられてる、みたいな感覚になっちゃうんですよ。やっぱり尖っている子もいましたし。だけどその中でも、ひたむきにやっていく中でそれを見てくれている後輩とかがいて、あれだけみんなの為にやってくれているんだからしっかり向き合っていかなきゃねっていう雰囲気が出てきて。段々と良い練習になっていったので、練習メニューをしっかり考えるっていうのもそうだけど、練習をやる当事者一人一人が意識を持つ事によって、それが勝手に良い練習になるっていう感覚がありました。

松原 自分らは…。山さん(山田)の代がすごく人間的に良すぎて(笑)。

山田 人間性しかなかったから(笑)。プレーができんから、人間性しかないのよ(笑)。

松原 山さん(山田)達の代のグラマネがすごく練習メニューを考えて福島さんと話し合っているのも知っていたし、学年ミーティングとかもめっちゃしてて。ほんとにピッチに立てない分、外でサポートしてくれているというか。すごく支えてくれている感が強くて。インカレ前にも、メンタルコーチですよね?鈴木さん…。

山田 そうそう、鈴木さんね。

松原 (鈴木さんを)呼んで、チーム全員でなぜか泣きながら(笑)。

山田 (笑)

松原 メンタルトレーニングというか、チームをよくしようみたいな事を初めてやってくれて。そういう人間的に尊重できる部分があったから、インカレもほんと先輩の為に頑張るぞっていう気持ちが自分達の代は結構強かったと思うんですけど。ただ自分らの代はそうやって人間的にすごくできている訳ではなくて、どっちかっていうと結果で引っ張っていくというか。試合に勝つことでチームを引っ張っていくっていう代だったので、ミーティングをして色々話したりというよりかはもう…。結果を出すしかないというか(笑)。色々プレッシャーもあったし、優勝するのが当たり前っていう雰囲気もすごくあって。でもチームの中は、最初の方は割れていて。試合に出れている子と出てないメンバーで。やっぱり高校まではそれなりにスタメンで出ていた人達がア女に集まってきて、そこで初めて試合に出れないっていう挫折を味わう人達が多すぎて。そこでモチベーションが少し低くなっちゃう子が何人かいて。そういう子達をどうやって一緒の方向にもっていくかっていうのは学年でも色々話していたんですけど。それもやっぱり、自分達が結果を残す事で付いてきてもらえたらいいよねっていう。ほんと山さん(山田)達の代みたいに人としてっていうよりかは、結果で何とかしてきた(笑)っていう代だったかなと思います。

山田 無いものねだりだよね(笑)。技術が欲しかった、自分らの代は(笑)。

一同 (笑)。

松原 人間力が欲しかったです、ほんと(笑)。

大脇 「話す」といったことがしっかり出来ていたと思います。紅白戦やポゼッション練習でも、意図や相手に要求したいプレーなど、しっかり話せていましたね。優先順位は何なのか、プレースタイルや状況に合わせてどこにパスを出すのか、どちらの足につけるのか、たくさん話した覚えがありますね。

――(松原)有沙さんは、時々練習も参加して頂いて。練習参加など今のア女を見て下さった方に限ってしまうのですが、当時と今で違うなと感じる所はありますか?

松原 そこまで違うなとは思わなかったですけど。より一層スタメン争いじゃないけど、ライバル心というか、そういう気持ちはすごい高いのかなって言う風に思いました。練習メニューとかもメンバーが分れたりしているのもあって、頑張って上に上がろうっていう気持ちが強い子達が多いのかなって。ほんとに数日間しか練習参加してないんですけど(笑)。そういう風には感じました。

――(山田)紅葉さんも確か一度いらっしゃって下さいましたよね?確か2年前位だと思うんですけど…。

山田 あ、うん!帰省したタイミングで、だったかな。

――ですよね!とても覚えているんですよ。自己紹介から皆の心を掴んでいました(笑)

一同 (笑)。

――何かその時印象に残った事や当時と違うなっていう所はありましたか?

山田 自分が全く知らないア女の子でも、やっぱり身内っていう気持ちが強かったから、仲良くなりたい!って感じで溶け込みにいったと思うし。だから意味不明な自己紹介とかしたんだと思うし(笑)。でも何か違ったっていうのはないかな。ただ、Twitterとか見ていると発信するっていう心が昔よりも強いというか。何を投稿しているんだろうって気になるような発信力っていうのは、すごくいいな~って思いますね。

――ありがとうございます!TwitterやInstagram頑張っているので、ぜひチェックしてください(笑)。

一同 (優しく頷く)

――他の方は、なかなか今のア女を見る機会はないですよね…。試合結果など見て下さっていますか?

山田 結果は…。え、どうなってるんだろう(笑)。

小山 結果、見てます!めっちゃ見てます。

――あ、ほんとですか!ありがとうございます!

小山 ごめん、山田さんごめん(笑)

山田 やばい、やばい(笑)

一同 (笑)。

――実は試合速報用のTwitterアカウントもできたので、ぜひ見てください!

福田 そこに関連付けると、サンフレッチェ広島でずっと広報してる(近藤)絵梨佳さん!何かあるんじゃないですか、物申したい事(笑)。

近藤 ないです、ないです(笑)。

一同 (笑)。

近藤 でも、情報発信は大事だな~って思うので。多分(SNSを)一番使っている世代だし、だからこそその強みを活かして発信してくれたらなと。見てます、いつも。

――ありがとうございます!

近藤 変わらないなと思う所は試合結果のメールを送ってくれている事。あれが変わらず、ずっと続けてくれているのは凄いなと思ってる。

一同 (頷く)

近藤 私が1年生の時からずっと上の代がやり続けている事だから、それより前からだと思うんだよね。あれ、どれ位?結構な人数に送ってるんだろうね、きっと。

――OG名簿にある連絡先には全て送っているみたいです。

近藤 それは本当にすごいな~と思ってます。

――ぜひ、読んでください(笑)。
では次に、主将という立場であった皆さんになぜ主将になったのかというのをお聞きしたいのですが…。では、(松原)有沙さんから。

松原 自分達の代は、役職を決める時に基本的に立候補制で決めてて。だから主将も自分が立候補してやりたいって話をして。それはなぜかっていうと、自分は大学時代怪我が多すぎて、サッカーをやってない時期が長くて。皇后杯とかインカレだけ出るとか。言ったら全国に関わる所だけ出てて、個人的に申し訳ない気持ちもあって。予選とか戦ってないのにそうやって全国にぱっと出ちゃうみたいな感じにちょっと申し訳なさを感じてて。キャプテンになるって思ったのも、皆を引っ張っていく立場に就く事で自分なりの責任ももっと持たなきゃいけないなと思いました。だからこそいつもより入念にケアをやったりだとか、怪我しないように気を付けたりだとか。そういう自分を変えるきっかけにもなったし。あとは高校時代にもキャプテンをやっていたという事もあって。その時の事が少しでも役に立てばいいかなって思って立候補したのがきっかけっていう感じですね。

山田 自分らも立候補で決めて。たしか山葵(ア女行きつけのお蕎麦屋さん)で決めたんだったかな~(笑)。山葵で皆集まって、立候補が3人出て。結果的にその3人で話し合いをして。その結果、やっぱりゲームに絡めている人の方がいいんじゃないかっていう事で。じゃあ自分でっていう事になったんですけど、それ以外の2人は副キャプテンに就いてもらう体制になりました。

松川 私の代は、キャプテンやれそうな人が全然いなくて(笑)。私も含めて(笑)。

一同 (笑)。

松川 キャプテンキャラがいなくて(笑)。皆フラット、皆仲良しな学年で。キャプテン決めようってなった時も、誰も立候補しなかったんで、皆が投票制にしようと。じゃあ誰々がいい人?誰々がいい人?って皆が挙げていって。ほな私の時だけ皆パって手を挙げて(笑)。ちょっと勘付いてた部分もあったから、そこで覚悟を決めてキャプテンやりますって言いました。投票制です、立候補はしてないです。

小山 私も皆さんご想像通り、立候補ではないんですけど…。

一同 (笑)。

小山 私がまだ3 年生の時に、当時の監督は長岡さんだったんですけど、まあさっきも仰ってましたけど練習中は基本見守ってくれているスタンスで。試合の時になったらまだリハビリの子をスタメンに選んじゃうような、こうほわっとした方なんですけど(笑)。

一同 爆笑

小山 その監督が4年生の役職発表のミーティング中に、本当に突然「ちょっと追加で、今年は 3 年生からも副将を選びます」 とおっしゃられて。そしてその副将に選ばれまして。だから、外堀を埋められた感じですかね? (笑)。4年生に向けての。

一同 (笑)。

小山 お前ちょっと勉強した方がいいよって思われたのか分からないですけど、3年生の時に急に副将に指名されたこともあって、4年生になった時に役職どうなるってなった時に、それこそグラマネやりたい人?みたいな話し合いに私は蚊帳の外でした、完全に。 監督に決められました、以上です(笑)。

近藤 結構上の代の影響が強くて。誰もが主将をできる集団じゃないとだめだよ、みたいな事をずっと言われてて。1人1人が自立してて、自主性がないとだめみたいな事を言われ続けてた。だからいざ決めるってなった時に、確かにそうだよなって思って。自分でやるって言いました。

小山 完全に私の話カットしてほしいです!

一同 爆笑

小山 マジで恥ずかしい(笑)。素晴らしすぎて恥ずかしいですほんとに、申し訳ない。

近藤 私じゃない、上!(笑)。

小山 もうレベル感が違いすぎて、話の。これ一つに纏められるって思ったら恐怖なんですけど、どうしよう(笑)。

一同 爆笑

小山 ちょっと、うまく(編集)お願いしま~す。

――わかりました(笑)。(と言いつつ、しっかり書かせて頂きました(笑))

大脇 たしか遠征先の宿舎で、来年の主将など各役職を自分達で決めなさいと当時の監督から言われましたね。学年のメンバーで集まって、メンバーに推薦いただきましたし、自分でも、ならやってみたいと言いました。3年の前期は前十字靭帯の手術をして、外からチームを見ていることが多かったのですが、そんな中でも、後輩メンバーや同期から信頼されていることを感じていました。プレーで引っ張りたいというより、この仲間と日本一を取る
為にチームを纏めたいな、この同期・後輩なら絶対できるという根拠のない自信から、チャレンジしたいと自然と思わせてくれました。

――次に、皆さんが主将としてでも良いですし、4年生としてでも良いのですが、一番難しかった事とか。それをどう乗り越えたか等あれば教えて頂きたいのが。では、ミュートが外れている(山田)紅葉さんから(笑)。

山田 あ、バレた(笑)。

一同 (笑)。

山田 一番難しかったのは、やっぱりチームビルディングというか…。チームをインカレに向けてもっていくっていうのが一番難しかった。一番気を付けていたのは、伝え方。全員が全員に同じ伝え方をするんじゃなくて。例えばこの子は自分が直接言うより、誰か第三者を通して伝えた方が伝わるなとか。思いっきりぶつかり合った方が、仲間!みたいな感じになる子もいれば、冷静に喋って話さないと逆にシャットアウトしちゃう子もいたりとかしたので。伝え方は1年生から3年生の間で沢山失敗して、結果4年生で色々なコミュニケーションの取り方っていうのを学生なりに工夫できたのかなって。4年生の1年間でターニングポイントだったのが(松原)有沙も言ってくれたんだけど、メンタルトレーナーの鈴木さんがいらしてくれた事で。その方に色々な事を教えて頂いた中でやっぱり大事だなって思ったのが感謝の気持ち。親や組織、大学への感謝もそうだし、後輩に対しての感謝とか身近な人への感謝って伝えないと全然力を発揮しないんだけど、いざ伝えるとものすごいパワーを発揮するんですよ。それがきっかけになった、特に自分達の代は。後輩達から最初は何だこの代、って感じの目だったけど、感謝の気持ちを伝えたらふっと180度変わるような。感謝の気持ちを伝える事がこんなにパワーをもっていたのかって気づかせてくれたのが鈴木さんで。最後の年に感謝の気持ちが持つパワーを感じました。

松原 さっきもお話したんですけど、やっぱりチームの皆を同じ方向に向かせるってすごく難しくて。試合に出れていない子達にどうアプローチするかって考えた時に、さっき結果を残していくって言ったんですけど。それ以外に自分個人的にはあまり試合に絡めていない子とか、それこそリハビリしている子とかすごく気持ちが分かるんで。そういう子達に個別になんとな~く話しかけたりとか、一緒にご飯食べに行って最近どう?って聞いたりとか、そういうアプローチはすごい心がけてて。やっぱりキャプテンとして自分にできる事は何かって考えた時に人の話を聞く事かなって思ったので。それで力になれたかどうかは分からないですけど、そういう事は結構してたかなって思います。

近藤 4年としても主将としても、4年の時はずっと難しい事ばかりで。思い出は楽しかった事もあるけど、結構難しい事ばかりだった記憶がある。大学は誘惑が多いし、自由だからその中で、何でサッカーをやるのかっていう所を皆で確認しながらやっていく作業が難しかった。色んな人の力を借りながら乗り越えていったって感じで。一番はそこですね。自由だからこそ、纏めるのが難しかった。だから24時間の内2時間を大切にしようよっていう事を話してた感じです。

小山 そうですね。4 年生としてだと、始動から「インカレ2連覇」という、創部以来成し得てこれなかった事にチャレンジするって事で想像以上にプレッシャーがあったことが最高学年としてどうしていくべきかをより難しくさせた気がします。インカレまで先だし、それこそ出場出来るかもまだわからないのに、もうそこが絶対という雰囲気があったので。ただそれでも、絶対的な目標としてインカレ2連覇っていうのはブラさずに行こうっていうのは初期の段階から刷り込みじゃないですけど、していこうねっていうのは 4年生で話して、全員に意識付けさせていました。主将としては、私はそんな頻繁に後輩とコミュニケーションをとるとかしてこなかった人間なんですけど、3年時に副将にさせて頂いたことで監督の思惑通り準備期間がありました(笑)。そこで、当時優秀なキャプテン(大脇さん)とかがいたので、上の人たちの背中を見てきてやっぱりピッチ内外問わず、コミュニケーションとか声掛けのタイミングもすごい大事だと学ばせていただいたので。選手だけじゃなくて主務の方だったりトレーナーの方だったりとかも含め、些細な事でも「あれやってくれてありがとね」とか、「あれがあったからすごい助かったよ」とか、「あれのおかげで勝てたよ」 とか。大げさかもしれないですけど、皆で作り上げたチームなんだよ、全員でア女だよっていうのを意識をもってもらうっていうのをコソコソやってました(笑)。同期も自分たちの役割を理解してそれぞれの立場で動いてくれていたので、キャプテンとして意識してた事はそれ位ですかね。

松川 皆が言ってくれたように、同じベクトルに向かせるっていうのはすごく難しくて。印象に残っているのが一個上と一個下の代が割とミーティングを重ねてっていう学年で。でも私達の学年はわちゃわちゃしてて、そんなにミーティングもせず固くない学年で。皆ミーティングも全然好きじゃないし、やっても5分くらいで終わる(笑)。

一同 (笑)。

松川 だったら逆に一個上の真似をせんでもええんかなって皆で思って。後輩達に伝えたい事は伝えるし、自分達の学年のカラーを出しながらうまく利用して付いてきてもらおうと。同期も下の子達とうまく話してくれたり、コミュニケーションをいっぱいとってくれて。そうやって、皆で同じベクトルに合わせていったかな。ここの学年がこうしてるからっていうのに別に拘らず。だからミーティングとかそんなにしてない学年だったんですけど、後輩達も気軽に話せていたと…。割と付いてきてくれたかなっ?(笑)。

山田 いや、めちゃくちゃかっこよかったもんね。

松原 うんうん。

山田 なんか、超合理的主義集団!みたいな(笑)。え、余計な事しません!みたいな(笑)。

一同 (笑)

山田 (高木)ひかりさんとかが、(モノマネしながら)「え、それ意味ある?」みたいな(笑)

松川 「ないか~」とかってな(笑)。そんなほわっとした学年だったんですけど、皆も割と自分達はこういう学年なんじゃない?っていうのを分かっていたから、後輩の子達とも上手くフラットに喋ってくれたり。そういう部分が上手くチームを同じ方向に向かせていってくれたのかなって思ってます。

大脇 怪我や学生生活、色々な事で練習に集中出来ていない、もしくは気分が落ちているメンバーがいる際に、どう手を差し伸べていいか難しいときはありましたね。ただ、私より包容力がある同期は他にもたくさんいましたので、一人暮らしの家に誘ったり、色々してくれ
ていたと思いますし、そういう部分含め本当に素晴らしい同期達でした。

――日々の練習の中でこれだけは意識していた事はありますか?もしくは、今も意識している事はありますか?サッカー以外の仕事面等でも構いません。

近藤 ちょっと重複しちゃうけど、ただ単にやらないっていう。なんとな~くでやらないっていう所です。

小山 まず目標をたてて、その為にどうすべきかっていうのは常に考えて今も仕事してますし、学生時代もそうしてたかなって思います。

松川 楽しむ。サッカーって好きでやってる事なんで、やっぱ楽しむっていうのを一番に置いてたかなって思います。

――それは仕事面でもそうですか?

松川 仕事はまあまあまあ、そんな楽しむっていう感じじゃないけど(笑)。

一同 (笑)。

松川 サッカーは楽しんだ方がいいと思います(笑)。

山田 自分も(松川)智さんに近いんですけど、やっぱり何事も楽しむ事が大切やな~と。楽しもうって言って楽しむよりかは、熱中していく。熱中するものが大事なのかなって今は思います。大学の時は必死だったので、やらなきゃ!って感じだったんですけど、今思うと自分自身も楽しんでもっともっとサッカーに夢中になれたなって思います。

松原 自分は一つ一つのメニューにどんな意図があるのかなって考えて、その意図を分かった上でそのプレーができるように意識はしてて。それは今もそうなんですけど、ただ単にメニューをこなすんじゃなくて、やっぱり意図とかが分かってないと同じ練習でも全然質とかが違ってくると思うので。どういう事を考えてこういうメニューにしてるのかとかは考えてました。

大脇 ただこなさない事ですね。これは社会人になった今でも同じ事を感じます。目的は何なのか、その為に何をするべきなのか、しっかりと考える事。考える癖というのは今から付けておいたほうが良いと思います。大学1、2年生だった自分に言ってやりたいくらいです。学生も、社会人も、どう日々を積み重ねるのかが重要です。腹落ちしない事があったら、しっかりと腹落ちするまで監督やメンバーと話したり、自分で考える事。自分が腹落ちしていなければ、その先にはなかなか伝わりません。「監督が言っていたから」などではなく、あなたはどう思うのか、しっかり自分に腹落ちさせ、言語化できるようにしておくと良いかと思います。(当時の自分が出来ていたわけではなく、出来ていたら良かったなと思うので、皆さんには今から意識してほしいです…)

――次が最後の質問になります。今のア女に求める事や伝えたい事はありますか?ここ数年優勝から遠ざかっていることもあるので、何かあれば簡単にでもいいのでお願いします。

近藤 これをやれば絶対優勝できますっていうのは無くて、色んな形があると思うので。皆で協力して常に全力でやって欲しい。一生懸命やっている姿をこっちは見ていて応援したくなる。色んな人に支えてもらえるようなチームであって欲しいなと思います。応援しています!

小山 楽しければいいと思います、私は(笑)。

一同 (笑)。

小山 4年間という限られた時間の中で、サッカーはもちろん仲間との時間も全力で楽しんでほしいなって。監督居る前であれですけど(笑)、結果も勿論大事だけど結果が出なかったから間違いということでもないと思うので、目標に向かって頑張る過程の中で一つでも自分たちがやってきた事に自信を持てることがあれば私はそれでいいかなって思います。なんか保護者みたい、コメントが (笑)。

一同 (笑)。

松川 ちょっと(小山)季絵さんのコメントと被るかと思うんですけど楽しむって事と、4年間って絶対一瞬で過ぎると思うので。その4年間ってそこで終わりなので、今この瞬間っていうのをしっかり楽しんだら、結果も付いてくるんじゃないかなって思うし。やっぱり皆大好きなサッカーをやっていると思うので、楽しんでほしいなって思います。

山田 一個上の先輩で、(山本)摩也さんって人がいたんですけど。その摩也さんが言ってた大好きな言葉があって。“正解の道を選ぶんじゃなくて、自分が選んだ道を正解にする”って言ってて。うわ、かっこいいなーって。正しい事、正しい事って選ぶんじゃなくて、4年生でこれだ!って思ったらそれを皆で一生懸命頑張るっていうのがやっぱり大事だし、それがカラーになるのかなって思うんで。それこそ(松川)智さんらの代を真似しようと思ったら、初っ端4月5月で挫けるって事があったので(笑)。やっぱり自分達で出来る事は何なんだろうっていうのを考えて、これだ!って思ったらこれを頑張る。その中で楽しめる事は世代とか関係なく、全力で楽しんでほしいなと思います。

松原 やっぱり大学生活4年しかない限られた時間の中で、一番は後悔してほしくないなって気持ちがあって。試合の結果、勝った負けたはあるけど、あの時もっとこうしていればよかったなとか、こうしてたら結果違ったんじゃないかなって思ってほしくなくて。負けたとしても、出来る事はやってきたっていう事が自分の中で一つでもあれば、絶対この先の人生の中での自信に繋がると思うので。大学生はそうやって色んな挑戦が出来る年代だと思うので、そういった中で後悔のない選択をしていってほしいと思います。

大脇 皆さんがおっしゃるとおり、楽しんでほしいです。ただ、楽しむって、全ての瞬間を楽しむわけではなくて、辛いことや理不尽なことも乗り越えたうえで、トータルでみたら物凄く充実した4年間、ラスト1年、ラスト数カ月だったなと感じてほしいですね。
そして、学生生活で「人間力」を磨いてほしいですね。仕事でアフリカのアンダーカテゴリー男子代表を日本に招待して大会を実施したのですが、監督が大事なのは技術などではなく「人間力だ」っておっしゃってたんですよね。アフリカのチームもやはりそうなのか・・・と。人間力って何だろう・・・と思ったあなた、ぜひ調べてみてください!(笑)

――ありがとうございました!
(編集 安住)

●近藤絵梨佳(こんどう・えりか)
2005シーズン主将。ア女創部以来初の日本一に貢献する。
現在はサンフレッチェ広島レジーナの広報に所属。

●大脇友里佳(おおわき・ゆりか)
2009シーズン主将。4大会ぶり2度目の日本一に主将として導く。
現在は日本サッカー協会(JFA)プロモーション部プロモーショングループに所属。

●小山季絵(こやま・きえ)
2010シーズン主将。創部以来初のインカレ二連覇を成し遂げる。
現在はアスリートマネジメント業務等に従事。

●松川智(まつかわ・とも)
2015シーズン主将。5大会ぶり4度目のインカレ優勝を果たす。
大学卒業後、単身スペインへ渡りプレー。2020年5月に現役を引退。

●山田紅葉(やまだ・くれは)
2016シーズン主将。ア女史上2度目のインカレ二連覇を達成。
卒業後はバニーズ京都SCでプレー。現在は京都精華高校に教員として勤務。

●松原有沙(まつばら・ありさ)
2017シーズン主将。ア女史上初のインカレ三連覇を果たす。
現在はノジマステラ神奈川相模原に所属し、WEリーガーとして活躍中。