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ア女にいる私『目標』生谷寧々

本日の担当は、2年生生谷寧々です。

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こんにちは。本日、ア女日記を担当させていただく2年 生谷寧々です。
今回のテーマは「ア女にいる私」ということで、私がア女に居て、最近深く考えたことについて書きたいと思います。

先日、「4年生になった時の目標は何か」と問いかけられた時、私はその場で答えを出すことが出来なかった。その時私が頭の中で考えていたことを説明すると、「4年生になった時のことなんて考えたこともなかった、、目標は何にしようか。そんな大事な目標、今すぐ1つには決めきれないや。また今度考えよう。」という感じで、その目標について考えることから逃げてしまった。
今までの私は、どうなっているか分からない将来のことを考えるよりも目の前のことに全力で取り組むことが良いことだと思っていたのだが、それではこれからも何となくでア女での日々を過ごしていくことになるということを教えて頂いた。

それから私は「目標」というものについて考えた。そして気づいた。私は目標という言葉が嫌いだ。私の中で目標を立てるということは、何日か後にそれを達成出来ていないと努力できていない、頑張っていないという烙印を押されるような感じがしてしまうのだ。チームで毎月立てる個人目標もそうだ。1ヶ月後の振り返りでそれが達成出来ていなかったら嫌だから、1か月という短い期間でそれを達成出来る自信が無いから、わざと自分で立てる目標のハードルを下げる。そんなことをしているから、目標のレベルはいつまでたっても上がらないし、自分の実力もそれに伴って低いままである。

「目標を立てる」ということは本当にそういうことなのか。達成出来ていなかったらそれは努力できていない証拠なのか。考えて考えて考えた結果、それは違うと思った。今まで私は、たくさんの人の目標を聞いてきた。身近な友達のものから架空の世界のものまで、実際に聞いたり漫画やアニメを通したりして、たくさんの目標に触れてきた。それらの目標はどれもみんな大きな目標であった。その中でも「目標」に対する私の考えを大きく変えた人の存在がある。私の身近には、大きな目標を立てて今も努力し続ける人がいる。その人を見ていると、その人の目標が達成できるかどうかよりも、大きな目標に向かって努力する過程の方につい目がいってしまい、その姿が純粋にかっこいいと思った。そして、目標を立てるのを嫌って目指すものもなく、なんとなく頑張る自分なんかよりも遥かに輝いて見えた。だから私もその人みたいになりたい、自分だけの大きな目標に向かって努力したいと思ってしまった。

だから私は4年生になった時の目標を立てた。たとえ達成出来なくてもいいから、あえて大きな目標を立ててみた。具体的であり、抽象的でもある目標だ。残念ながらそれを、この場で公言する自信はまだない。けれども、少なくとも達成できないことを恐れて目標を立ててこなかった以前の自分よりかは、1歩前に進むことが出来たと思う。これからのア女に居る私は、その大きな目標を達成するために、今すべきことを考えて実行していこうと思う。

明日の担当は、ちょっと不思議で実はとても面白い、あやのさんです。お楽しみに!

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以上です。
本日もご覧いただきありがとうございます。
明日もお楽しみに!

浦部