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ア女にいる私『ここぞの木南』木南花菜

本日の担当は、2年生木南花菜です。

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こんにちは。
本日、ア女日記を担当させていただきます、2年木南花菜です。
長く纏まりのない文章になりますが、最後までお読みいただけると幸いです。

自分が点を決めたのに悔しかったのは初めてだった。

関カレ東京国際大学戦。一点ビハインドで迎えた後半アディショナルタイム、クロスを上げたはずのボールがそのままゴール右上に吸い込まれ、同点弾となった。
ゴールと同時に試合終了のホイッスルが鳴り、悲鳴まじりの歓声と共に、チームメイトが駆け寄ってくる。そんな中、悔し涙が溢れた。
嬉しいはずなのに、悔しかった。とても悔しかった。

思い返すと、去年もこういった得点が多かった。
点を取る度に「ここぞの木南」と嬉しい言葉をかけてもらった。「花菜だったら何かやってくれそう」と私のワンチャンスの点に期待してくれる人もいた。もちろん心から嬉しかったし、どんなゴールであれチームのためになれば良いと思った。
しかし、そんな気持ちと共に、偶然にしかゴールを決められない自分がとても嫌だった。

こうして2021シーズンが終わり、今シーズンこそ偶然ではなく、自分の力で点を取ってチームに貢献したいと始まった2022シーズン。

強く意気込んだのは良いものの、すぐに結果が出るほど甘くなかった。
公式戦が始まってもなかなか調子が上がらず、上手くいかないことばかり。初めてスランプというものを経験した。去年の自分とのギャップもあり「自分は何もできない」「誰も自分に期待していない」と自分の存在意義を見出せずにいた。
気がつくと、今シーズン公式戦0得点という目に見えて散々な結果であった。

そんな中、迎えた東京国際大学戦、喉から手が出るほど欲しかった公式戦初ゴールだったはずなのに、偶然にしかゴールを決められない自分に腹が立ち、なによりも悔しかった。
去年と何も変わっていないじゃないか、結局私は偶然でしかないと失望をさえ感じた。
じゃあどうするのか。考えて考えて考えた。

“偶然を必然にする“

考えて行き着いたのは、この言葉だった。
私は、偶然は必然の集まりだと思っている。
失敗を考えて見ると分かりやすい。偶然失敗したという場合、私たちはどうするだろうか。失敗した事に対する必然が必ず存在し、その事象について追求するはずである。
私たちは失敗に対するアプローチは特別意識しなくてもしている。しかしなんとなく上手く行ったことや偶然に成功したことは“成功したこと”と一括りにしてしまう。
その偶然成功した事も全て必然の集まりであり、上手くいった原因があるはずだ。
今、偶然成功したということがあれば、そこにある必然を集めて、次は必然にすれば良い。

だから私は今まで偶然だったことを必然にしていきたい。
「花菜だったら何かやってくれそう」が「花菜だったら何かやってくれる」に変わるまで。
その上で「ここぞの木南」で在り続けたい。

拙い文章でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。
最後になりますが、コロナ禍にもかかわらず、いつも沢山の応援をありがとうございます。
これからもア女への熱いご支援ご声援の程よろしくお願いいたします。

明日の担当は、体を張った守備とピッチに響き渡る声でア女のゴールを守るあゆみさんです!!
お楽しみに!!

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以上です。
明日もお楽しみに。

大森