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4年生の想い『ココロノナカ』後藤若葉

本日の担当は#3後藤若葉です!


現実とは
 
時にどんな物語よりも残酷で
 
冷たくて容赦なく僕らを踏みつけるけど
 
 
でも
 
 
現実とは
 
時にどんな物語よりも美しくあたたかい
 
そのことを僕らは知っているから
 
 
僕ら今まさに
 
歴史の教科書の上
 
 
ならばいざ行こう
 
どのページよりもさ
 
眩しいストーリーを
            』
 
 
 
 
 
皇后杯敗退が決まって早くも3日。
 
 
今シーズンの目標の一つだったものを失い
 
これが現実なんだと
 
受け止めて
 
受け入れて
 
次に進むしかないと分かりながらも
 
そう簡単に切り替えられるわけではなく
 
 
なんだか重い身体をなんとか動かして
 
歴代のモチベーションビデオの曲を聴きながら
 
東伏見に向かう電車の中で
 
書きはじめました。
 
 
冒頭の歌詞も
 
そのモチベーションビデオの曲のうちの一つ。
 
『RADWWIMPSさんのココロノナカ』
 
このnoteの題名もここからお借りしました。
 
 
このモチベーションビデオは
 
私たちが1年生の頃
 
インカレを2回戦で敗退してしまい
 
そんな中でも
 
シーズンの最後に準備されていた
 
早慶戦に向けて作られた
 
モチベーションビデオの曲でした。
 
 
今でもあの時の事は鮮明に覚えていて
 
この曲を聴くと
 
あの時の気持ちが思い出されます。
 
 
この曲を初めて聴いた時は
 
1年生だった私たちも
 
もう4年生
 
4年生の12月
 
引退間近。
 
 
ア女での残りの生活が
 
残り1ヶ月になって
 
今私は何を想っているのだろう
 
これまでで伝えられていないことって
 
何だろう。
 
 
 
 
 
『僕には言えてないありがとうばかりで』
 
 
 
 
 
身体を動かすことが好きで
 
通っていた幼稚園でできるスポーツが
 
サッカーか体操で
 
3つ上の兄がサッカーをやっていたし
 
走り回る方があってるだろう
 
そんな理由で始めたサッカー。
 
 
 
でも今では
 
サッカーが
 
生活の中心となっていて
 
 
来シーズンからは
 
そんなサッカーが
 
私の職業になる。
 
 
後藤若葉の第一のサッカー人生は
 
今シーズンで終わる。
 
 
 
そこでこの場を借りて
 
これまでの私のサッカー人生に
 
関わってくださった
 
全ての皆さんへ
 
これまで伝えてこれなかった
 
 
普段は照れ臭くて伝えられない
 
 
 
      感謝の気持ち
 
 
 
今シーズンの私の
 
 
これから始まる最後の戦いに向けての私の
 
 
 
     『ココロノナカ』
 
 
 
そんな気持ちを
 
伝えさせてもらおうと思います。
 
 
長くまとまりのない文になってしまいますが
 
 
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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まず初めに、日頃より早稲田大学ア式蹴球部をご支援していただいている皆様。
 
いつも本当にありがとうございます。
 
私たちは皆様のおかげで、毎日大好きなサッカーに全力で打ち込むことができています。
 
 
今年は私たち四年生が早稲田大学に来て初めて、男女同日開催での早慶戦を行うことができました。
 
コロナ前の盛り上がりは取り戻せていなかったのかもしれませんが、あの日の出来事の一つ一つが、貴重な青春の1ページとして私の胸に刻まれています。
 
試合を開催するにあたり尽力してくださった皆様、当日運営を行なってくれた両校の学生の皆さん、暑い中女子部の時間から熱い声援を送ってくださった応援部の皆さん、ほんとにありがとうございました。
 
今後も伝統のあるこの一戦が紡がれていくことを期待しています。
 
 
 
 
 
冒頭にも書いた様に
 
私は5歳の頃にサッカーを始めました。
 
初めて付けた背番号は「3」
 

 
3つ上の兄が着ていたお下がりのユニホーム
 
そんな縁のある番号を
 
今も付けさせてもらってます。
 
ディフェンスになるっていう予言だったのかな?
 
 
人に注目されるのが苦手で
 
幼稚園に行くのが大っ嫌いで
 
脱走未遂をしたこともありました。
 
 
でもそんな私でも
 
サッカーをやっているときは
 
恥ずかしさなんて忘れて
 
持ち前の負けず嫌いを活かして
 
ピッチ内を駆け回り
 
いつしかサッカーに夢中になっていました。
 
 
途中に父の仕事で引っ越したり
 
女子チームにも掛け持ちで所属したりしたけど
 
私のサッカーの基礎を作ったのは
 
間違いなくこのえいあんじFCでの6年間があったからです。
 
泣き虫でガキンチョだった私に
 
 
サッカーの面白さを
 
 
サッカーをしていく中で大切な気持ちを
 
 
教えてくださりありがとうございました。
 
いつか練習に顔出させてもらいます。
 
 
 
 
 
私のこれまでのサッカー人生において
 
最も大きなターニングポイントとなった
 
小学6年生の夏。
 
 
ATHLETAの新しい練習着を着て
 
読売ランドの横のグランドで
 
ガチガチに緊張しながら受けた
 
日テレ・メニーナの入団セレクション。
 
 
1次、2次、3次、4次①、4次②
 
計5回ものセレクションの結果
 
私はメニーナに合格した。
 
 
小学校で授業を受けていたら
 
その日保護者会があり
 
学校に来ていた母が
 
廊下で大きな丸印を私に向けてきて
 
合格したことを知りました。
 
 
しかしいざ練習に入ると
 
ボールもピッチの大きさも違うし
 
中学1年生から高校3年生までが一緒に練習するし
 
年代別代表の選手がたくさんいるし
 
パスがいとも簡単に繋がっていくし…。
 
 
基礎技術が圧倒的に足りなかった私は
 
毎日練習についていくのがやっとでした。
いやついていけてなかったな。
 
 
でもそんなある日
 
当時ベレーザの監督をしていた
 
寺さん(寺谷真弓さん)が
 
メニーナのメンバー外の選手の練習を
 
指導してくださった。
 
 
その時の練習メニューは
 
 
対面パス
 
 
これをずっとやった。
 
 
私はなんとなくできている気でいたけど
 
ボールを止める
 
この本当の意味を教えてもらった。
 
 
私が中学2年生になった時
 
寺さんがメニーナの監督になった。
 
 
そしてここで私は
 
CBに出会った。
 
 
それまでサイドハーフやフォワードをやっていた私が
 
あの日の
 
練習試合で初めて
 
CBをやった。
 
 
CBへのコンバート
 
 
これがなかったら
 
今の私はいないと思います。
 

 
それから
 
高校1年生の時。
 
スタメンで出た試合は片手で数えられるくらいかな。
 
 
思い出せば思い出すほど
 
たくさんの出来事があるし
 
当時は本当にしんどくて仕方なかったけど
 
あの日々があったから
 
 
私に足りない部分を突きつけてくれて
 
 
それと向き合えた期間があったから
 
今の自分があると
 
今ならそう思えます。
 
 
本当に6年間お世話になりました。
 
 
ありがとうございました。
 
 
 
また
 
メニーナのサポーターのみなさん
 
私が早稲田に行ってからも
 
応援してくださり
 
本当にありがとうございました。
 
 
みなさんの暖かさは
 
これからも忘れません。
 
 
来シーズンからは敵になってしまいますが
 
1人の選手として応援してもらえたら
 
嬉しいです。
 
 
 
 
 
「臙脂の似合う女になります!」
 
 
19歳の誕生日をお祝いしてもらった時に
 
みんなの前で宣言したのが
 
もう3年前。
 
 
臙脂の似合う女になれたかな。
 
入学当初の私には
 
3年後に主将を務めているなんて
 
想像もできませんでした。
 
 
今こうして主将をやらせていただけているのは
 
これまでの3年間で
 
先輩方が
 
スタッフの皆さんが
 
早稲田大学ア式蹴球部というものを教えてくださり
 
気難しかった
 
 
私の殻を割ってくださったおかげです。
 
 
間違いなく
 
人として成長することができました。
 
 
特に
 
私たちが1年生の時の4年生のみなさん。
 
ガキンチョだった私たちに優しくしてくれて
 
どんな時でも先頭に立って引っ張ってくれて
 
私たちをチームにうまく巻き込んでくれた。
 
 
そんなみなさんが
 
私たちにとっては
 
いつまで経っても
 
憧れで
 
大好きな存在です。
 
 
卒業しちゃう前に会いに来てね!
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2023シーズン
 
スローガン
「誇闘」
誇りを持って闘う
 
 
目標
・皇后杯ベスト8
・インカレ優勝
 
 
私たち4年生で
 
たくさんたくさん話し合って
 
掲げたスローガンと目標。
 
 
そして私は
 
主将に立候補して
 
同期から
 
託してもらい
 
主将になった。
 
 
4年生として
 
主将として
 
チームのために尽くす
 
そう決意して
 
迎えた
 
ア女でのラストシーズン。
 
 
新チーム始動から
 
選抜活動に練習参加
 
なかなかチームの活動に
 
参加できずモヤモヤした。
 
 
シーズン開幕。
 
なかなか点が取れず
 
関東リーグ・関カレの開幕戦は
 
共に0-0。
 
 
今年のチームの課題であった
 
「得点力」を
 
突きつけられた。
 
 
それでも
 
それだからこそ
 
<関カレ第2節vs東京国際大学>
 
1-0  
 
この勝利が
 
チームに
 
私たち4年生に
 
もたらしたものはとても大きかった。
 
 
今でもあの時のあやのの得点は
 
得点までの流れを鮮明に覚えている。
 
 
1点取ることの大変さ。
 
勝点3の重み。
 
勝利の喜び。
 
身に染みて感じた。
 
それと同時に
 
このチームで
 
この喜びを
 
まだまだたくさん味わいたい
 
そう強くて思った。
 
 
しかし
 
現実はそう甘くなかった。
 
 
リードしても
 
追いつかれ引き分けに終わる試合。
 
 
我慢の時間帯に
 
立て続けに失点を重ね負けた試合。
 
 
前期の試合では
 
完全に私たちの甘さが出た。
 
 
全員がプレーしやすいように
 
これを意識すぎて
 
厳しさが足りていなかった。
 
 
私たちがこれまで積み上げてきたものは
 
間違っていたのかもと
 
自信を失いかけていた。
 
 
 
<夏合宿>
 
夏の中断期間で
 
早稲田に来てから初めての
 
夏合宿を行う中で
 
いつもとは違う環境で
 
衣食住を共にしながら
 
2部練習を重ね
 
チームは確実にパワーアップしていた。
 
 
しかし
 
私は合宿初日に怪我で離脱。
 
右第五腰椎疲労骨折。
 
みんながオンオフ関わらず
 
たくさんコミュニケーションを取るようになっている中
 
どこか私1人馴染めていない感じがした。
 
 
 
<皇后杯関東予選>
 
楽な試合など
 
1試合もなかった。
 
それでも
 
一人一人が全力で闘い抜き
 
皇后杯の出場権を獲得。
 
苦しい試合を乗り越え
 
強くなったチームがそこにはあった。
 
しかし
 
私は
 
そんな試合を
 
スタンドから見ているしかなかった。
 
無力な自分に嫌気が刺した。
 
 
 
<アジア競技大会>
 
多くの方の支えがあってどうにか間に合わせることができた。ほんとうにありがとうございました。
 
 
日頃とは違うカテゴリに所属する選手と共にプレーする中で
 
海外の選手と対戦する中で
 
大会を通して
 
本当に多くのことを学び吸収した。
 
 
超満員のスタジアムで
 
大歓声の中プレーする
 
あの感覚は忘れることはないだろう。
 
 
この期間にも
 
ア女は関カレ・関東リーグ
 
しっかりと積み上げていた。
 
戻ってチームに合流するのが
 
楽しみで仕方なかった。
 
 
合流した週末の試合 
 
関カレvs東洋大学
 
3-1 勝利
 
私はミラクルシュートで先制点を取った。
 
しかしその10分後に負傷交代。
 
左ハムストリング肉離れ。
 
チームの勝利を喜ぶ余裕は
 
私にはなかった。
 
やっとチームに帰ってきて
 
みんなと一緒に戦える楽しさを感じた矢先
 
再度負傷離脱。
 
悔しかった。
 
 
でもそれよりも何よりも
 
みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 
 
それからは
 
毎日グランドに行き
 
リハビリをしながら
 
みんなが練習しているのを眺めていた。
 
 
4年生として
 
主将として
 
そんなんじゃだめだとわかっていても
 
チームから離脱してばっかりの自分は
 
どんな言葉を
 
どんな熱量で伝えればいいのか
 
分からなくなっていた。
 
そんな中迎えた
 
関カレ最終節vs大東文化大学
 
ア女での最後のリーグ戦
 
試合に出ることができなくて
 
悔しい自分がどこかにいるはずなのに
 
その自分をかき消している自分がいた。
 
 
そんな時に
 
史さんが喝を入れてくれて
 
親身になって一緒に考えてくれる同期がいて
 
気にかけてくれる後輩がいて
 
そして何より
 
毎日自分の100%を出しきって誇りをもって練習するみんなの姿があった。
 
 
引っ張っていかなければならない立場なはずなのに
 
みんなに本当に助けられてばかりの1年でした。
 
たくさん迷惑かけてしまってごめんなさい。本当にありがとう。
 
気づいたらア女で過ごせる時間もあと少し。
 
この1年みんなにたくさん助けてもらった分
 
大好きなア女のために私の全てを捧げます。
 
大好きなみんなの笑顔が見たいから。
 
大好きなみんなと見たい景色があるから。
 
 
高校卒業時に迷いに迷った進路選択。
 
早稲田大学を選んで本当に良かったです。
 
そう今思えているのは
 
この4年間で
 
私に関わってくださった
 
全てのみなさんのおかげです。
 
本当にありがとうございました。
 
 
私たちの最後の闘い
 
是非最後まで見届けてください。

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~ 大好きなア女のみんなへ ~
 
インカレに向けて
 
伝えたい思いは
 
色々あるけど
 
その中でも私がみんなに伝えておきたい事。
 
 
アジア競技大会に参加しているときに
 
佐々木則夫さんがお話ししてくれた
 
一言がとても心に残っていて
 
みんなにも伝えたいことなので
 
この場を借りて伝えさせてもらいます。
 
 
「   成功の反対は失敗ではない。
 
   チャレンジしないことである。  」
 
 
 
インカレは誰もが緊張すると思う。
 
プレーが縮こまっちゃう時もあると思う。
 
 
でも
 
ミスを恐れて
 
チャレンジしないのはもったいない。
 
 
大丈夫
 
私たちには
 
チャレンジを責める人なんていない。
 
隣にはカバーしてくれる仲間がいる。
 
 
だから
 
自分のプレーに自信を持って
 
私たちのサッカーに自信を持って
 
私たちのチームに誇りを持って
 
最後まで全員で泥臭く闘い抜こう。

 
 
 
 
 
~ 最愛なる同期へ ~
 

 
伝えたいことはたくさんあるけど
 
ここでは一番伝えたい想いを1つだけ。
 
 
同期があなたたちで
 
本当に良かったです。
 
同期があなたたちじゃなかったら
 
今の私はいません。
 
たくさんありがとう。
 
最後まで自分たちらしく
 
闘い抜こう。

 
そして最後に
 
 
~ 両親へ ~
 
 
まずはここまで
 
なに不自由なく
 
サッカーを
 
私の好きなことをやらせてくれて
 
ありがとう。
 
 
「極めたいと思える道に出会えたことが最高の幸せ」
(一時期家にあった、たかの友梨さんの日めくりカレンダーの言葉です。)
 
 
本当にその通りだと思う。
 
サッカーに出会えた私は幸せ者です。
 
 
どんな時も味方で
 
でも甘やかしはしない
 
でも親身になって話を聞いてくれる。
 
 
負けた試合の後は
 
言いたいこと・聞きたいことあるのに
 
私が不機嫌になるからって
 
そっとしておいてくれて
 
ありがとう。
 
 
 
大学3年生の1年間は
 
怪我で思うようにサッカーができなくて
 
自分自身毎日が不安で
 
でもそれと同じくらい
 
沢山心配かけちゃったよね
 
ごめんね
 
見守ってくれてありがとう。
 
 
どんなに遠くても
 
予定が合えば試合を見に来てくれて
 
タイにも来てくれたね。(国歌斉唱のとこテレビに抜かれちゃってたね)
 
 
他にもたくさんの
 
「ありがとう」で  
 
溢れているけど
 
ここには書ききれないのでこのくらいで。
 
 
来シーズンからも
 
2人にプレーしている姿を見せられるように
 
頑張るから
 
これからもたくさん見に来てね。
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長くまとまりのない文章だったと思いますが
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
 
12/26から始まる私たちの最後の戦い。インカレ。
 
これまでの思いを全てぶつけて悔いなくやり切ります。
 
私達早稲田大学ア式蹴球部女子の応援よろしくお願いします!!
 

 
『 
  いざ行こう
 
  さぁ
 
  ハッピーエンドよ
 
  そこで待っていろ
            』

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日本一を目指し
常に勝利が求められるこの組織で、
それでありながら
サッカーだけが求められるわけではないこの環境で、

時には背負うものの大きさを感じながらも
善し悪し全てを受け止めて、
その全てを糧にして、
彼女はいつでも
その言葉で
その行動で
その背中で
一人一人が「誇」り持って「闘」えるように
私たちを導いてくれた

彼女は私たちに教えてくれた
全員で闘うことの意味を。
そして
全員が誇りを持って闘うことの意味を。

彼女のサッカー人生の第1章に幸せな終幕を。
彼女と共にあの最高の景色で最高の笑顔を。

2024年1月6日
一人一人が誇りを持ってア女らしく闘って
全員で日本一の景色で笑うために

さぁ、いこう

澤田