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「ア女にいる私」vol.27 松本茉奈加

約1ヶ月に渡りお届けしてきた部員リレー「ア女にいる私」、本日がラストです。
最後の1人、本日の担当は4年生松本茉奈加です。

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「ア女にいる私」のトリを務めさせていただきます。グラウンド管理の4年の松本茉奈加です。よろしくお願いいたします。
高校からの自分を知っている人は多いと思いますが、「ア女に入るまでの生い立ち」を少し話してみたいと思います。文章力は乏しいですが、精一杯書いたので読んでいただけたら幸いです。

早稲田大学に入ることは小学生の頃から決めていました。
なぜか? 
それは、その当時ハンカチ王子が活躍していたからだと思います。ただ単純にテレビで活躍する姿がカッコ良かったから。
ア女子が全国トップレベルということは高校になるまで全く知りませんでした。

小学生の頃はバスケ、テニス、空手、水泳、卓球、体操など様々なスポーツを経験してきました。
私には兄が1人います。兄の後ろをずっとついていき、真似ばかりしているような子でした。しかし、サッカーだけは兄の影響ではありません。
サッカーを始めたきっかけは当時通っていた学習塾、公文の友達が入っていたサッカーチームを見学しにいったことです。
あまりにも熱心に練習を見ていた私を見かねてコーチに練習に入っていいよと言われて参加したらしいです。母に言われて思い出しましたが、、、
初めて自分からやりたいと母に懇願し、条件付き(公文でトロフィーを貰う)で小学4年生の時、チームに入れさせてもらいました。
週1回のチーム練習だけでなく、放課後もサッカーをし、ズボンに穴を開け、穴を塞ぐためのワッペンでいっぱいになったズボンを履いていました。
そして、いつの間にかサッカーの虜になっていました。
中学受験もサッカーができるところしか見ていませんでした。
この頃の私はサッカーの虜になったとは言っているものの、オフサイド、オフェンスと言ったサッカー用語すら理解していない球蹴りが好きな小学生。

そして入った十文字中学では、小学校時代毎日サッカーをしていたような仲間たちとサッカーをすることになります。負けず嫌いな性格で、上手い仲間に嫉妬をし、人間関係を考える余裕なんてない生活。
中学1年生は全体練習に参加すらできないパス練習の毎日。無人のゴールにシュートしても枠外。トラップをすれば相手ボール。
試合をやっても「オフサイドがわからないから使えない」と言われました。当たり前です。
それでも折れる心は全くなく、練習すれば上手くなれる。鼻で笑われたって、そう信じて諦めませんでした。
しかし、知識も人に聞く力もなかった当時の私には、自分なりの練習が精一杯で、戦術なんて理解すらできませんでした。

高校に入ると、クラブユース出身、世代別代表経験者と強豪から集まった人たちばかりでした。自分の無力さを感じるばかりで、Aチームに参加させてもらっても心の中ではBチームでやりたいと逃げまくっていました。(今だから言えることですが、本音です。)そのぐらい上手くて強くて賢い人たちの中でやるには全ての技術が足りませんでした。伝える能力も意思を表現することもサッカーがなければ私にはできませんでした。サバサバしてそうと言われますが、私はとてもネチネチです。何かを言われるとすぐに気にして悩み勝手に苦しんでいるタイプです。極度のネガティブなのです。
自信なんてありません。自信つけ方も他人の評価でしか図れません。常に人の評価を気にしている私は判断もプレーもチャレンジできない選手になっている時期もありました。真帆やすずはよく知っているはずです。
それでも必死に食らいついて、やっと私のプレースタイルを確立できた矢先に後十字靭帯損傷、半月板損傷と度重なる怪我をしました。ここからは皆さんテレビで見たことがあると思います。YouTubeにも載っています。興味のある方は是非ご覧ください。
私は怪我をするまで自分のことに精一杯でしたが、サポートメンバーになったり、復帰後、1番下のチームから再開したことで、チームにベクトルを向けてやるサッカーの大切さを知りました。その時初めてどれだけ多くの人に支えられてきたのかを知りました。
トップチームの行動や態度が試合に出れない選手たちの心やモチベーションを左右させ、応援したいと思われるか、目指したいと思われるかが決まってくるということも知りました。私は視野の狭さを痛感し、同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
十文字高校は「大変厳しい」と言われているそうですが、確かに厳しさもあり、規律もしっかりあります。
ですが、これだけは言えます。上手い人に囲まれて高いレベルを求められる環境は確実に私を成長させてくれました。

早稲田大学に入ると高校でつけた自信は一瞬で砕け散りました。そう、過信していたのだと。
十文字学園という枠から初めて外に出て、こんなにも考えてプレーしている人がいるのかと驚いたのと同時に自分が考えてプレーしていないことを思い知らされました。
高校3年間は無駄でなかったはずなのに、個人プレー以外は通用しないという事実に心が挫けそうでした。いや、確実に挫けました。
高校のように叱咤激励をしてくれる人はいません。しかし、ア女は自分の課題に向き合い、自分にベクトルを向けることを当たり前にできる集団であり、私も自分にベクトルを向けるようになりました。
向き合う機会があればあるほど、自分を知り、やらなければいけないことを示してくれるチームメイトがいるのです。
ア女を卒業していった先輩方、同期、後輩はみんなかっこいいです。人として尊敬するところばかりです。だからこそ、「あの人のようになりたい、強くなりたい」と思わせてくれます。
でも、その理想にはまだまだ手が届きません。

「身体能力が高いからいいじゃん」

私はこの言葉が嫌いでした。
私の今までの練習を全て否定されているような気がしていたのです。生まれ持った才能だから、自分は無力のように感じていました。
でも、少なからず身体能力に甘えている自分もいます。だから、沢山怪我をしたのだと思います。
中学1年生 左鎖骨骨折(土につまずき全治1ヶ月)
高校1年生 外反捻挫(上に人が乗り全治2ヶ月)
高校2年生 後十字靭帯損傷(保存治療で全治5ヶ月)
高校3年生 半月板損傷(保存治療で3ヶ月)
大学1年生 右鎖骨骨折(早慶戦出場2分後、全治3ヶ月)
大学2年生 半月板損傷(手術をし、全治6ヶ月)
こうやって書くと沢山怪我をしたなと自分でも驚きます。ですが、怪我をして無駄だった期間なんて一切ありません。怪我をしないための行動を取れるようになるには時間がかかりました。

大学でスタメンになれたのは3年生の時だけです。
スタメンになれない理由も私には分かっています。自分の課題も見えています。
まだ、自分にはその大きな壁を越える力が足りません。後悔しない努力をすることの難しさを痛感する毎日です。
不甲斐ないプレーを見せてしまっても、変わらず応援してくれる保護者の方々、時には怒ってくれる仲間、信じ続けてくれるスタッフ。こんなにも支えられているからこそ、情けないのです。

これまでの私は、プレーの方が表現できていたけれども、今の私はプレーでも表現できていない。
表現できるほどの技量が今の私には足りない。
オフザピッチでは戦略だったり分析、話し合いなどその分野に秀でている仲間に頼っている部分がある。ア女の中の私は満たされないと感じている。つまり、役に立てていないということだ。

だからこそ、私は変わりたい。

守ったら、
突破されない。
相手の攻撃は全部潰す。
競り合いは負けない。

攻めたら、
確実に突破する。
ゴールは決める。

これは目標であり、決意表明だ。

こんなにも熱く奮い立たせてくれる
ア女は絶対に負けない。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。

そしてこのような企画をしてくれた広報の皆さん、
自分自身と向き合う機会をくれてありがとう。

このようにサッカーができないことは悔しいですが、今日の自分、明日の自分の行動が未来を変えると思います。ア女は1人1人責任を持ち行動していきます。
私たちは「人に良い影響を与え続ける」存在です。
見本となり目指されるチームになります。

今後ともア式蹴球部女子部をよろしくお願いいたします。

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以上です。
最後の1人まで読んでいただきありがとうございました。
改めて、今もなお最前線で非常事態に立ち向かう医療従事者はじめ
多くの方々に心より感謝申し上げます。
いつの日か必ず、またみなさんと一つになってグラウンドで
白熱した試合ができることを心待ちに、
今は活動自粛の中で自分たちにできることをしていきます。
引き続きこれからの企画も是非お楽しみ下さい。
それでは、失礼します。
阪本