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『大学トップの世界』阪本未周

一度書き上げて、綺麗なことを書きすぎて一度全部消しました。
やっぱり私の今までの想いを率直に、飾らず書こうと思います。
ちょっぴり恥ずかしいけど、最後までお付き合い下さい。

ーー世代別代表経験者ばかりのレギュラー11人の中に1人、
中学から何の選抜にも選ばれてない私がいる。

小学生の頃から、なんでも2位だった。

小学校で毎年冬にあったマラソン大会も、6年連続2位。
50m走でも一番速い子は他にいて2位。
中学の持久走でもバスケ部に勝てず2位。
満を辞して挑んだ高3の選手権全国大会、2位。

そういうことばっかりだった。
遅くもないけど飛び抜けて速くもない。
下手でもないけど飛び抜けて上手くもない。

でも、それなりでも上手くやってこれた。

途中までは。

小さい頃は女子でサッカーやってるってだけで
「すごいね」って言ってもらえたし、
中学だって、なかなかにちやほやされた。

高校になって、ちょっと通用しなくなってきた。
けどまだ、「あんたの武器はスピードやで」って
コーチに言われて頑張った。
試合大好き練習嫌いだった私は同期に恵まれ、
「努力」の大切さを姿で教えてもらった。
自分でも感じるほど人が変わったように
朝、昼休み、放課後練習、練習後の自主練と
毎日ボールを蹴り続けた。
3年目にはやっと選手権の決勝にまで立つことができた。
あの時の震えるほどの興奮は、今でも忘れられない。

そして大学。
何一つとして通用しなかった。
小さな世界でちやほやされてきたものはあっけなく崩された。
スピードも、テクニックも、スタミナも、全部平均。
なんなら平均以下だったと思う。
痛いほどに、自分が「特別」でも
何でもないことを思い知らされた。

でもこれが、トップを目指すということ。

先輩が言ってた。
「努力は本当に大切だけど、
ここでは評価されることではないよ」
聞いた瞬間、心臓がドクンって大きく動くのがわかった。
上のステージに上がるほど、
結果や実力こそ全ての世界になることを痛感した。

一緒に入学した同期の活躍は、
正直見るのが辛かった。
悔しくて、喜びたいのに喜べないのも悔しくて、
同じ立場だった人に聞いた時、
「自分は悔しがれるほどの実力が自分にないから」
って言われた。
あれ、悔しいのって自分の実力を過信してるからなのかな。
バカ正直な私は、その日から悔しがることをやめた。
何かあっても、実力だからしょうがない。
悔しいって思いそうになった瞬間に、実力だから。
たぶん、そういうことじゃなかった。
悔しがることをやめたら、原動力が消えた。
原動力とともに、ワクワクさえ失った。
人生って難しい。

大人になろうとすればするほど、
周りに見せる自分を取り繕うようになる。
沸き起こる感情に蓋をして、自分の中に閉じ込めて
何事もないように、周りに求められるように振る舞う。
社会、組織で生きるには、大事なことかもしれない。

でも、ちゃんと自分の声は自分で聞いてあげないと。
一喜一憂しちゃいけないっていうけど
一つ一つのことをちゃんと受け止めてる証拠ならいいと思った。
感じないフリ、見えないフリをするのは誰のためにもならない。
悔しいなら、悔しがっていいし、
嬉しかったら、喜んでいい。
悪いことも嬉しいことも、ちゃんと受け止める。
その代わり、ちゃんと次に繋げること。

そう思って、悔しさは全て練習にぶつけた。
毎日毎日、グラウンドの照明が消えるまでボールを蹴って走った。
練習がない日も、遠征だった日も、
グラウンドに戻ってボールを蹴った。
誰に見られてなくても、
自分だけは自分の姿を全部知ってるから。
ちょっとくらい手を抜いてもきっと誰も気づかない。
けど、全部自分は知っている。
だからやめなかった。
走り切った日、蹴り切った日は、満足できた。
一つ自信になった。

試合に出てたみんなの姿を思い出して
楽しそうで、眩しくて、羨ましくて、
手が届きそうな気がしなくて、
ボールを蹴りながら涙がとまらなかったこともある。
親に相談したくて、でもやっぱり心配はかけたくなくて
電話しようとする手を止めて泣いたこともある。
一度や二度とじゃない、何度も。
一人で泣いて、次の日は何事もなかったようにグラウンドに向かう。
いつも通りみんなと話して、みんなと笑って、練習が始まる。
これでいい。
誰も知らないところで強くなりたかった。
そしていつか、越えたかった。

ア女での4年目、現在。
大学女子サッカー界トップを走り続ける早稲田で
世代別代表経験者ばかりのレギュラーの中に1人、
中学からなんの選抜にも選ばれてない私がいる。

偶然じゃない。
奇跡でもない。

周りを圧倒するような才能も身体能力も持ってないし、
一瞬で観客の心を掴むような派手なプレーはできない。
才能に溢れる選手の中にいれば
「平凡」な選手かもしれない。

でも、だからどうした。
足りないなら、それを補うものを一つ一つ積み上げていくんだ。

圧倒的なスピードがないなら、
試合の後半、みんなのスピードが落ちる時間にも
スピードを落とさずに走り続けられる体力をつければいい。
相手をパワーで封じ込める体格がないなら
常に考えて良いポジションを取り続けて
相手より先にボールをさわればいい。
一瞬で観客の心を掴むようなテクニックがなくても、
できるプレー、できるパスを、確実に繋ぐこと。
会場を沸かせるようなアイディアやひらめきがなくても、
味方のアイディアをいち早く察知して
それを実現するために真ん中で動き続けること。

周りが全国屈指の才能に溢れた選手だらけなら
その「才能と才能をつなぐ存在」がいてもいい。

正直目立ちにくい。
それでも、
地味なことも、パッと見では気づかれないことも
一つ一つ、確実に積み上げる。
そして、「才能」ではなく「実力」にしていく。
いきなり上手くなれるわけじゃない。
毎日毎日、考え続けて、やり続けるんだ。

気づかれない、評価されないことも多かった。
それでもそれがその時の自分の実力だと
ちゃんと受け止めて、また走り出す。
だんだんと認められ、評価されるようになった。

そうして気付く。
評価された時の自分がすごいんじゃない。
評価されなくても、報われなくても
必死に耐えながら積み上げたあの時間こそが、
私という選手、人間の価値の全てだということに。

忘れられない言葉がある。
高校時代の監督から、
3年間毎日提出したサッカーノートに書かれた、最後の言葉。
「これから先、
上手くいきすぎることも、上手くいかなすぎることもあると思う。
上手くいこうとするのではなく、ブレずにやり続けることによって
向上することを体現してください。」

少しはそんな姿に近づけたかな。

こんなにも素晴らしい生き方を、
本物の努力の仕方、大切さを教えてくれた
高校の同期や監督コーチ、
ア女のみんなには心から感謝しています。
ふくさん、私をボランチにコンバートしてくれて
まだまだサッカーの可能性を魅せてくれて
ありがとうございます。
存在そのものが私を強くしてくれている両親。
いろんな競技での活躍で刺激をくれる大学の友達。
あったかいバイト先。
ずっと応援してくれてる小、中、高校の友達。

なんとなく始めたサッカーに本気になったら、
こんなにも素敵な人たちに巡り逢えました。

「中途半端な奴の周りには、中途半端な奴が集まる。
本気の奴の周りには、本気な奴が集まる。」
これも恩師に言われました。
みんなが周りにいてくれるなら、
私は本気で戦えてるって思えます。
いつも一緒にアホみたいに笑ってくれてありがとう。
一緒に泣いてくれてありがとう。
一緒に喜び抱き合ってくれてありがとう。
熱くなれる場所を与えてくれてありがとう。
私を変えてくれてありがとう。

みんなのこれまでの姿を知っているから、
必ずみんなと日本一を獲りたい。
「獲れる」と思ってる。
ア女には自分と戦ってきた人、
今も戦い続けてる人がたくさんいます。
私は、この人たちのために戦いたい。
足が攣りながら一生懸命戦ってくれる後輩たちにもう
負けて泣き崩れるなんてことはさせたくない。
言葉にはせずに自分自身を責める同期の顔をもう見たくない。
せっかく望んだ場所に立てたのに
「自分が出てたから」なんてもう、思いたくない。

4年として、最後を迎える者として、
必ずチームを日本一へ導くんだ。
次のア女へと繋げるためにも。
そう思わせてくれる後輩がいる。
そう一緒に決意してくれる同期がいる。
ゴールへの道を示してくれる指導者がいる。
勝利を願い、信じてくれる人がいる。

だから、必ず。

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“点々と散らばっていた努力の痕跡が
今、線となり繋がり始めた。”
監督に語られたこの言葉から約8ヶ月
彼女の線は、確実に太く、強く、
そして、伸び続けた。
努力の価値も、才能の価値も、
否定せず受け入れた彼女は
“自分を信じる”強さを持つため努力し続け
“悔しがる”という才能を力に変えた。
最後の舞台で彼女は
強さを掛け合わせる存在として
一つの強さとして
“頂”への道筋を指し示す。

以上です!
次回がラストとなります。
インカレまであと12日、
次回もお楽しみに。