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二度目の緊急登板、意志をもってコンセプト変更 ─ 岡田 武史(南アフリカ・2007-10年) ─

初めて日本代表を率いたフランス大会から10年、再び代表監督に就任することを誰か予測できたものがいただろうか。ドイツ大会での惨敗のあと、日本代表は、下位に低迷していたジェフ市原(当時)を優勝争いのできるチームにまで引き上げた名将、旧ユーゴスラビア監督イビチャ・オシムを監督に迎え、「走るサッカー・考えるサッカー」を目指して、船を漕ぎだしていた。就任直後のアジアカップ東南アジア大会では、PK戦の末韓国に敗れ4位に終わるものの、三大陸トーナメントではヨーロッパの中堅を相手に勝ち上がり、優勝を収めるなど、今後に大きな期待のもてるプレースタイルを構築しつつあった。
しかし、このオシム体制は思わぬ形で終焉を迎え、再び岡田武史に白羽の矢が立てられるのである。自身2度目の代表監督、満を持しての就任であった。

独自路線へと舵を切る南アフリカ大会予選

岡田体制は08年にいよいよ始動する。当初はオシム前監督が進めてきたチームづくりを継承していたが、苦戦を強いられる。独自路線を歩みだしたホームのオマーン戦で3-0と快勝、タイ、バーレーンにも勝って、最終予選に進む。
2位以内に入れば本戦への切符を手に入れられる最終予選。日本人の特徴を活かす日本オリジナルのサッカーを追求していくが、なかなかホームでは結果が出せない。会心の勝利というものも少ないまま、ファンのストレスは溜まっていった。
それでも、突然の交代で監督として初采配を振ることとなった因縁の地ウズベキスタン・タシケントで勝利し、4大会連続のワールドカップ出場を決めるのだった。

言葉だけが独り歩きした「ベスト4」

本大会に向けてチーム作りに邁進していたが、マスコミやファンとの溝はさらに広がっていった。目標に掲げた「ワールドカップベスト4」は、その真意が正しく発信されぬまま、現実のチーム状態とのギャップから、強い不信感を招くものとなった。
2010年2月の東アジア選手権で3位に沈むと、「ベスト4なんかいらない!」との声とともに、岡田解任論が渦を巻き、協会の対応にも不満が噴出した。

「このままでは勝てない…」意志をもって下す大きな決断

直前の合宿、岡田はまたしても人々を驚かす大きな方針変更を行う。渡欧前の韓国戦、イングランド、コートジボアールとの調整試合で敗れた日本は、それまでのアグレッシブに仕掛けていくサッカーを捨て、Wボランチとアンカーを置く守備のウエイトを高めた戦術にシフトしたのである。そして、この変更は出場メンバーをも大きく変えることになる。キャプテンを、正GKを変え、主力として闘ってきたメンバーがレギュラーの座を追われたのである。しかし、振るった大鉈は国内では批判を浴びたものの、「つかみどころのない集団」といわれた選手たちの一体感を生み、国外の大会において初めてグループリーグ突破という結果を連れてきたのだった。勝つことを常に考え、自分たちの力と相手の力を冷静に分析し戦い方を変えていった、勝ちにこだわる岡田の強い意志がそこにはあった。

ワンチャンスをモノにしたアウェイでの初白星《vs カメルーン 1-0》

初戦の相手はアフリカの雄、カメルーン。驚異の身体能力からリズムよく攻撃を仕掛けてくる。日本は直前に取り入れた守備的布陣で、カメルーンが繰り出す攻撃をことごとく防いでいく。はじめから後半勝負のゲームプランを描いていた岡田だったが、前半39分、松井のクロスはゴール正面の大久保の頭上を超え、ファーに流れていた本田の足下へ。迷わず左足を振り抜いた本田のシュートは貴重な先制点となった。試合会場は標高1,400mの高地ブルームフォンテーン。カメルーンは後半次々と攻撃的なカードを切りパワープレーに出るが、高地順応に成功した日本は豊富な運動量で守備を固め、待望の勝ち点をつかみ取ったのである。

この勝利は、自分たちのやり方は間違っていなかったという大きな自信と、チームとしての一体感が生まれるきっかけとなった。

敵を慌てさせたが、エースの豪快な一撃に沈む《vs オランダ 0-1》

先発を変えずに臨んだ第2戦は、優勝候補とも目されるオランダ戦だ。しかし、相手がどんなに大きな敵であっても、ひるむことなく日本は徹底した守備意識をもって立ち向かっていく。前半終了間際には、右サイドを掛け抜けた駒野の突破から、松井大輔がゴールへと迫り、オランダを大いに慌てさせた。後半に入るとオランダの逆襲が始まる。48分のファン・ペルシーのヘッドを皮切りに、49分、51分と立て続けにゴールに詰め寄られる。その嫌な流れを引きずったまま、53分、スナイデルに豪快な一撃を決められてしまう。前線でのタメとセットプレーに期待して中村俊輔を送り込むも、なかなか1点を返せない。逆にカウンターからピンチを招く。必死で走り抜いた好ゲームではあったが、終了間際のビックチャンスも勝利の女神は微笑んでくれず、0-1でタイムアップを迎える。

ナイトゲームの結果により、オランダのグループリーグ突破と、カメルーンの敗退が決定。次の第3戦は、決勝トーナメント進出をかける大一番となった。

値千金のFK、守備陣も奮闘してグループリーグ突破《vs デンマーク 3-1》

引き分け以上でグループステージ突破が決まる最終戦。日本はスタメンこそ同じだったが、攻撃的なフォーメーションをしいて「勝ちにいく」作戦に出た。ところがこの隙きをデンマークに突かれ、日本の守備は混乱してしまう。急ぎ4-3-3の布陣に戻し問題点を修正したことが功を奏し、守備の安定とともに攻撃にもリズムが生まれることとなった。前半17分、本田の放った無回転FKが豪快にネットを揺らす。さらにその13分後、遠藤の右足から芸術的な得点が生まれる。後半に入りパワープレーに出るデンマークだったが、川島、中澤、闘莉王を中心としたディフェンス陣が体を張ってゴールを守る。不運なPKで1点を与えるも、終了直前岡崎がダメ押しの3点目を決め、3-1の快勝を収めた。

1試合ごとに成長し、たくましさを増していく代表チーム。国内でもいつしか「岡ちゃんごめんね」と、岡田の決断にエールを送るように変わっていった。攻撃的スタイルを捨ててつかみ取ったベスト16、日本サッカーの新たな扉は目の前にあった。

歓喜のときは訪れず、プレトリアの夜に散る《vs パラグアイ 0-0(3 PK 5)》

苦しみながらも16強入りを果たした日本の前に立ちはだかるのは、F組を首位で通過してきたパラグアイ。日本と同様、堅守で勝ち上がってきたチームだ。ポゼッションで支配されるも、リズムを作らせずカウンターを狙う日本。前半20分過ぎには孤立気味の本田をサポートするべく、遠藤をトップ下に。デンマーク戦では機能できなかったシステムだが、選手たちは混乱することなくゲームを進めていく。監督も、選手も、さらなる歴史を作るという野心をもって挑んだ戦いであった。しかし、お互いに決定機は訪れないまま時間は過ぎ延長戦へ。交代で入った中村憲剛の働きもあり、攻撃は活性化されたが、ゴールを割ることはできず、結局0-0のままタイムアップ。この大会初のPK戦へともつれ込んでいく。
4人目まで全員が決めたパラグアイに対し、日本は駒野が外してしまう。チームの全員が、日本の国内中が固唾をのんで見守るパラグアイの5人目、オスカール・カルドーソのシュートは、無情にもネットに突き刺ささり、8強への歓喜の雄叫びをあげたのはパラグアイの方だった。

歴史を塗り替えた土壇場での方向転換

ベスト8を目指した岡田の挑戦は、大変残念な幕切れとなった。自国開催以外でのベスト16という成績は評価されてしかるべきだが、消極的な戦いと揶揄する声も多かった。岡田が目指したかった日本のスタンダードと呼べるサッカーはこの大会では成し遂げることができなかったが、勇気をもって行った方向転換が、日本サッカーの歴史を塗り替えたことは、厳然たる事実である。


南アフリカ大会のあと、それぞれが抱いた手応えや世界との差を胸に、世界で闘う選手の数は飛躍的に増えた。
こじ開けられなかったベスト8の扉、創造性のある攻撃…。日本サッカーの未来へ大きなバトンを繋いで、岡田武史の2度目のワールドカップは幕を閉じたのである。

(敬称略)