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44日間の心震える旅の行方 ─ 西野 朗(ロシア・2018年) ─

まさに、世界に衝撃を与えたといってもよいだろう、ハリルホジッチの電撃解任、国内のサッカー熱も急速にしぼんでいく中で、西野ジャパンはロシア大会に向けて漕ぎ出した。デュエルかポゼッションか、世代交代かベテランの経験値か、「日本人らしいサッカーを」の声が日増しに高まる中、西野の選考・戦術は、世間の耳目を集めるものとなった。闘う姿勢を貫き、魂をひとつにして駆け抜けた44日間の心震える旅はこうして始まった。

青天の霹靂、何度も繰り返される監督就任時でのドラマ

岡田武史のそれよりも、西野朗のそれは6回目の出場ということを差し引いても、あまりに突然、あまりに無謀ともいえるものだった。開幕まで残す公式戦は1試合というタイミングでの監督交代、準備期間も、代表監督としての経験も十分とはいえない。
西野について語られるキーワードのひとつに「リアリスト」がある。そんなリアリストがなぜこのタイミングで…代表やサッカー界を取り巻くさまざまな環境、人間関係、いろいろな思いが交錯したことは想像するに難くない。絶体絶命という状況の中で、果たすべき責任感が彼を突き動かしたといえよう。しかし、ただそれだけで漕ぎ渡れるほど簡単な大会でないことは、五輪での経験や後輩岡田の苦しみなどを肌で知っている西野にはわかっていた。それでも決断したのは、早稲田で培ったどんなときでも全力を尽くす、チームを支えてくれる仲間を信じる気持ちがあったのではないだろうか。

化学反応を求めたテストマッチ

就任会見で西野は「ケミストリー」という言葉を何度も発している。「選手それぞれが、自分のプレー、パフォーマンスを素直に出せるように、最高の化学反応が起こるチーム・グループを目指して、総力を挙げて選考していく」「技術を最大限活かす、組織的なところで化学反応を起こして戦う強さをベースに構築していく」。必要なことは継続しつつも、日本人に合ったサッカーを追求する。化学反応(ケミストリー)が重要なキーワードとなった。
とはいえ、当然のことながら結果はすぐには現れない。壮行試合となったガーナ戦は0-2の敗戦。篠突く雨とブーイングの中で行われたセレモニー、ロシアへの道のりは視界良好とはいえないものだった。
欧州キャンプへと場を移しても悪い流れは変わらない、スイスとの一戦も0-2と全く得点の匂いのしないまま敗戦。メンバーを大きく入れ替えて戦ったパラグアイ戦で、ようやく4-2と勝利を収めたものの、監督交代・選手選考への批判はうねりのように大きくなっていった。しかし、逆風すらもバネに変え、主張と対話を繰り返して、西野ジャパンはチームとして見事にまとまっていくのである。

自信と誇りを取り戻した初戦《vs コロンビア 2-1》

初戦の相手は前回大会で完敗を喫したコロンビア。W杯では日本のみならずアジア勢も一度も南米勢から勝ち点を挙げられていないという、戦う前から大きなプレッシャーがのしかかる。反面、かつてブラジル相手に「マイアミの奇跡」を起こした西野だから「何かが起きるかも」という期待めいたものも静かに広がっていた。
しかし、この勝利は決して「奇跡」などではない。もちろん開始早々、相手MFが退場になる、主力選手が先発できないなどの幸運に恵まれたところもあったが、ドローでもよしとする初戦、日本は主導権を握って勝ちにいったのである。1-1の局面で、先制点を挙げた香川を下げ、本田をピッチに送り込んだ。この采配が的中、本田のCKから大迫がヘッドで決勝ゴールを叩き込んだのだ。

この勝利は、勝ち点3だけでなく、自分たちの力に対する自信や、日の丸を背負う誇りまでも取り戻させる、貴重な1勝となったのである。

ビハインドを跳ね返し、壮絶なドローに《vs セネガル 2-2》

続く対戦は、フィジカルに勝るセネガル。初戦と同じスタメンで臨んだ日本は、前半早々不用意なミスから先制を許す。しかし、ここから強い意志で屈強な相手に立ち向かっていった。柴崎のロングフィードは長友から乾と渡り、美しい軌道を描いてゴール隅に吸い込まれていった。セネガルの圧力に耐え、ボールを繋いでいった。後半に入り何度か決定機を作るもゴールは割れない。逆に71分に勝ち越し弾を浴びてしまう。これまでかと誰もが思った瞬間、西野は反撃の狼煙とばかりにカードを切っていく。72分に本田、75分に岡崎を立て続けに投入、ベテランの力がチームに落ち着きをもたらしたばかりか、乾の折返しを本田が決めて追いつき、値千金の勝ち点1を手にしたのだった。

「たたかれ続けたオッサン連中が決めてくれた」長友の言葉は、同じように批判され続けてきた西野の戦略にも向けられた言葉だった。長くJクラブを率いて身につけた勝負師としての勘と、緻密なスカウティング、攻撃的なスタイルを崩さなかったからこその壮絶な点の取り合い。チームの一体感は最高潮に達し、日本国内のボルテージも上がっていった。

諦めた自力突破 賛否を呼んだ8分間の決断《vs ポーランド 0-1》

グループステージ最終戦はポーランド戦。自力での2位以内確保には、引き分け以上が必要という状況の中で、セネガル戦から先発6人を入れ替えるという大胆な策に踏み切った。後半14分にFKから失点し3位に滑り落ちる。そのままスコアは動かない。ジリジリと時間ばかりが過ぎていく中、セネガルがリードを許したとの情報が入る。勝ち点も総得点も同じセネガルだが、この大会から導入されたフェアプレイポイントで日本は上回っている。ここで西野は、前代未聞ともいうべき賭けに出る。ターンオーバーで休ませていたキャプテン長谷部を投入、「0-1のままでいい、不用意なファールはするな」というメッセージを託したのである。永遠に終了の笛はならないのではないかと思えるような、長く苦しい8分間のパス回し。日本のいや世界中のサッカー界に大きな波紋を投げかけた苦渋の選択ではあったが、日本は2位で南アフリカ大会以来3度目の16強入りを決めたのである。

自らへの批判と引き換えに、次のステージで戦う権利をつかみ取った西野。日本サッカーに新たな扉を開くべく、大きな1歩を踏み出していった。

攻める姿勢を貫いて最も8強に近づいた6度目の夏《vs ベルギー 2-3》

史上初の8強入りを賭けた大一番の相手はベルギー。過去5戦して2勝2分1敗と分がいいとはいえ、FIFAランキング3位の強豪だ。前半はベルギーのペースに苦しむも、ディフェンス陣が奮起してスコアレスで折り返す。そして48分、柴崎のスルーパスに反応した原口が60mの距離を全力で駆け上がり右足一閃、シュートはゴール左隅に突き刺さり待望の先制点が入る。続く4分後、乾の無回転シュートがゴールを割り、日本は悲願の8強を大きくたぐりよせた。
この後に悪夢が待ち受けていると誰が想像し得ただろう。ベルギーは高さのある交代選手を立て続けに送り込み、守備のほころびを突いてあっという間に2点差を追いついてしまった。西野は、81分に山口と本田を同時投入、3点目を取りにいくという強い意志の現れであった。そして、後半アディショナルタイム、日本に千載一遇のチャンスが訪れる。本田の放った無回転シュートはあわやの軌道を描きゴール迫るが、名手クルトワに阻まれCKに変わる。延長戦も見えてきたこのタイミングで、時間稼ぎをすることもできたが、西野は、日本はそれをしなかった。クルトワにキャッチされたボールは、デ・ブライネ、ムニエとつながり、シャドリの蹴ったボールは、昌子の必死の戻りも及ばずゴールへと吸い込まれていったのである。

この日本戦でのカウンターは、ベルギーサッカー史上最も美しいゴールといわれている。日本にとっては無念ではあるが、世界における現在地を確認できたとともに、新たな歴史の扉を開ける貴重な財産となった試合だったといえる。

夢の続きは次の世代に託す

就任当初多くを期待されていなかった西野だったが、劇的なドラマのあと続投を望む声も多くなった。選手やチームを支えるスタッフを称える声も高まった。しかし、自身の在任はロシアで終わりという気持ちが変わることはなく、大会の総括を終えた7月末、西野は代表監督を辞し、後任にはコーチとして共にロシアで闘った森保一が五輪監督と兼務する形で就任した。


時には大胆に、時には冷静沈着に采配を振る勝負師としての顔と、前日会見での微笑ましいやりとり、選手やスタッフから「ちょっと天然なところもある」といわれてしまう西野朗、そのすべてが彼の本音だろう。
傷つき、迷路に入り込んでいたサムライたちを率いた濃密な44日間の冒険の旅。この旅の行方は、私たちサッカーを愛し、サッカーに夢を賭けた者たちが繋いでいくべき未来なのだろう。

(敬称略)