反骨心と一体感で歴史を拓いた若きサムライたち ─ 2012年 第30回大会(ロンドン) ─
彼らのこの躍動を、グループ首位通過という快挙を、サッカーファンの誰が予想し得ただろう。5月のトゥーロン国際大会では、不安定な守備が露呈しグループリーグ敗退、直前の壮行試合では、終了間際に得点を許してしまう、「メダルは確実」といわれるなでしこの後塵を拝したばかりか、マスコミやファンからの期待も急速にしぼみ、ロンドンへの船出は、大海を小舟で漕ぎ出すような心もとないものに誰の目にも写っていた。
しかし、自ら雑草集団と認める彼らの反骨心の炎は消えてはいなかった。「いつか見返してやる」その熱いハートと、短期決戦を見据えた戦術を組み立てていた関塚隆(昭和59年卒)のクールな頭脳が、サッカーの母国でファンタジーを繰り広げ、観るものを魅了したのである。
日本は、スペイン、モロッコ、ホンジュラスと同じD組に入った。初戦は、圧倒的なボール支配率で各年代の世界大会で強さをみせつけるスペイン。そしてそれは、44年前のメキシコで2位通過のために「点を取らずに引き分け大作戦」を戦った相手だった。
果敢なハイプレスで艦隊を沈める
グラスゴー、ハンプデン・パーク、強い陽射しが照りつける7月26日午後2時45分、運命の一戦キックオフ。若きサムライたちは、世界を席巻するスペインに真っ向勝負を挑んだ。前線からひたむきにボールを追い、スピードとスタミナを生かした果敢なチェイスとカウンターで相手を混乱に陥れる。守備陣はOAで招集された吉田麻也と徳永悠平(平成18年卒)を中心に鉄壁のブロックを引き、侵入してくるスペインに対し人数をかけて包囲し、ことごとく跳ね返していった。
そして34分、扇原のCKに合わせてファーから走り込んだ大津が右足を一閃、見事なボレーがネットを揺らした。得点後も走りをやめないサムライたち。つめかけた38,000人近い観客からは、その快走に大きな歓声が湧いた。
ついに試合終了のホイッスル、呆然と立ちすくむスペイン選手、世界を驚かせた瞬間であった。「高い位置からの守備」思い描いた戦い方を、選手もベンチも一丸となって貫き通してつかんだ快勝に大きな歓喜の輪が広がった。
功を奏したピンポイント補強
過去最多となる海外組の招集や、ワールドカップ予選と重なる過密日程とのバランスをとりながらのチーム編成は難題のひとつだった。関塚は、アジア大会優勝メンバーを軸にしながらも、大きな目標に向けて英断を下す。2列目にタレントを擁しながらも、歯車が少しでもずれると崩れてしまう若いチームに、2枚のジョーカーをあてる大胆な補強を行なったのである。フル代表でも不動の地位を築いていた吉田麻也(平成24年現在、人科通信制在学中)と、複数のポジションをこなせる徳永悠平の抜擢は、チームに抜群の安定感をもたらした。
徳永自身は、8年前のアテネ大会でOA選手との融合の難しさを実感していたこともあり、当初はあまり乗り気でなかったが、関塚監督直々の説得にともに闘う決心をし、不完全燃焼に終わったアテネの借りを返す旅路へと出向くのである。
徳永の落ち着きと吉田のキャプテンシーがうまく融合しチームは一段レベルアップ、短期決戦に重要な勢いと流れをつかみ、快進撃の狼煙を上げていく。
素早いパスワークからの1点
続く対戦はフィジカルに勝るモロッコ。「ここで負けたらスペイン戦の意味が無い」と全員が強い気持ちをもって臨んだ。ジリジリする展開が続くが、前線からのプレッシャーでパスコースを限定させ、相手を追い詰める。スコアレスドローもちらつき始めた84分、清武が前線へ長いパスを蹴りだす。モロッコのCBとGKが詰め寄るが、猛然と駆けだして最終ラインの裏へと抜けた永井の足が、相手キーパーよりも早くボールに触れる。「入れ!」日本中の願いをのせたボールは、美しい放物線を描いてゆっくりとゴールに吸い込まれていった。
チームの成長を感じさせる勝点1
第3戦ホンジュラス戦は、グループリーグ1位通過をかけた大事な一戦。先発5人を入れ替えて挑んだ。立ち上がりこそ連係不足のためバタついたが、苦しい時間帯を権田や吉田を中心とした守備でしのぎきると、序盤の悪い流れを立て直し、最後まで集中を切らすことなく引き分けでこの試合を終えた。準々決勝でのブラジルとの対戦を回避し、2戦先発組を休ませる、といった意味でも価値ある引き分けであった。
こうして、前評判を覆しグループ1位で、しかも3試合無失点というおまけまでつけて、若きサムライたちは「夢の劇場」オールド・トラフォードへと乗りこむのである。
魔法使いが舞い降りた、ゴールショーで4強入り
準々決勝の相手はエジプト。5月のトゥーロン国際大会では2-3と敗れた相手だ。しかし、ホンジュラス戦でターンオーバーできた攻撃陣は、キックオフ直後から鋭い動きをみせ、次々とエジプトゴールに襲いかかる。
14分、モロッコ戦と同様に、清武・永井のあうんの呼吸から放たれたシュートが無人のゴールへ吸い込まれ先制点を奪取する。ただ、ここで永井が負傷してしまい、残り2戦に大きな代償を払わされることになる。
スピードスターを失った日本ではあったが、ディフェンスから一気に相手ゴールを陥れるスタイルは衰えを知らず、あたかも魔法使いがタクトを振っているかのような見事な連動をみせつける。相手の動きが落ちてきた78分にキャプテン吉田の豪快なヘッドで突き放すと、83分には大津がこれも頭で押し込みダメ押しの3点目。44年ぶりのベスト4へ駒をすすめた。
初めての逆境を跳ね返せず、夢ついえる
メダル獲得がかかる準決勝は、44年前3位決定戦で下したメキシコ、運命的なものさえ感じさせる対戦となった。場所はサッカーの聖地ウェンブリースタジアム、チームのムードは高揚し、メダル獲得への手応えも確信へと変わっていた。しかし、順調だった日本チームに暗い影が忍び寄る。中2日の試合と移動で疲労が蓄積し、生命線である前からのプレスが効かなくなっていた。12分に大津のミドルシュートで先制するも、31分CKから同点にされると、大会初失点の動揺もあり、これまでの運動量は一気に影を潜めてしまった。66分にはミスから追加点を奪われ、立て直しがはかれないままロスタイムに3点目を決められ万事休す。自分たちの手で歴史を変えるという意気込みは、初めての逆境の前にもろくも崩れ、金メダルへの夢は途絶えてしまった。
火花をちらすライバルとの闘い
最後の対戦は、宿敵韓国。勝てばメキシコ以来の銅メダル、対する韓国も史上初のメダル獲得を目指して、ともに絶対に負けられない一戦、開始早々から火花をちらす激闘が繰り広げられた。韓国は日本の苦手とするロングボールを積極的に仕掛け、サイド攻撃を徹底してつぶしてきた。ボールを支配するもチャンスをものにできないでいると、何でもないロングボールから失点してしまう。浮き足だち攻め手を欠いたまま無念のタイムアップ。目指した銅メダルは目の前ですり抜けていってしまった。
こうして、18人のヒーローと関塚、苦楽をともにしたコーチングスタッフの冒険は幕を下ろした。開幕前には多くを期待されていなかったチームが、勝利を重ねるごとにたくましく成長していった背景には、選手個々の反骨心とチームとしての一体感があった。一人ひとりがそれぞれの役割を全うしつつ、全体にも思いを巡らす、関塚と徳永が身をもって示した早稲田伝統のスピリッツがイギリスの地で結実し、日本サッカー史に新たな1ページを刻んだのである。
若きサムライたちは、最後の2試合自分たちのサッカーができなかった悔しさを胸に、それぞれの闘いの場へ歩みをすすめた。そして、関塚も「自分にも宿題ができた」と、新たな挑戦の決意をしている。ロンドンからブラジルへ、そしてその先へ、熱き闘いに終わりはない。
(敬称略)